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2001年10月のINAXギャラリ−2 Art&News
藤田匠平 展
− 不熔のかたち、地には雨 −

会期:2001年10月1日(月)〜25日(木)
休館日:日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



憤怒のつぶて

入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

藤田匠平の作品に出会ったのは、7年前になる。 京都市立芸術大学の大学院の修了展の会場だった。 あの時の、彼の作品のまわりだけが静まりかえっていたような感覚をいまだにはっきり覚えている。 細い高い台の上に乗っていた、つぼみのようなうつわ。 「ハナトシテウマレタンダ、イシガ…」というタイトルだったが、最近になって私の記憶は変容した。 あの静寂は[やきもののハナの死骸]が乗っていたためではなかったのかと。 「ハナトシテウマレタンダ、ツチガ…」ではないつぶやきが、今になって聞えてきたような気がした。 翌1995年「INAXガレリアセラミカ」で展覧会をしてもらった。 彼のその後は、エジンバラへの留学と帰国後の大きな空白で過ぎた。

早すぎる才能の開花は、その後の道を難しくする。 藤田はINAXでの発表の翌年、1年間イギリスのエジンバラのカレッジオブアートで学ぶ機会を得た。 帰国後、作品ファイルを見て驚いた。全部ガラスだった。たった1年しか行っていなかったはずなのに、そこにあった作品に震えた。 ステッキの頭部を連想させる、秘儀の道具のような王冠を抱く棒状のかたち。 エジンバラから帰国する際に要請された展覧会では、40点ほどが4つのケースに配置されていた。 この100倍くらい作ったんでしょう?と聞いたら[はい]と簡単な答えが返ってきた。数ヶ月間の結果だ。 エジンバラに行って会話も満足にできずに、何ヶ月もぼんやりした日々をすごし、ようやく、はじめてのガラスに触ってみた。 陶の才能で招聘されたのに、ガラスをはじめてしまう無法ぶり。 無法からはじめて、死にもの狂いで辻褄を合わせるいつもの藤田流だ。

会場写真 会場写真

大学の卒業時には、わざわざテスト・ピースを思わせる作品を出品している。面取りをした砲弾のようなかたちを300個近く並べた。 艶やかなもの、くすんだもの、さまざまなニュアンスのものを丹念に眺めると、単純なかたちが、狂気に似た激しさを放射してくる。 彼の集中とは、どこにも自分の求めるものがない苛立ちと怒りからはじまる。 間歇的に噴出する、不機嫌な憤怒のかたち。名人級の天の邪鬼である藤田は、錬金術師という時代遅れの商売をするしかない。
昨年10月、愛知県常滑市のINAXの[世界のタイル博物館]の[やきもの新感覚シリーズ]で2回目のINAXでの発表をしてもらった。 ガラスとやきものが同じ空間に並び、きりつけるような鋭さと、美醜の感覚を狂わせる作品が並んだ。 つねに緊張を孕み、真っ先に美しいということばが発せられてきた時間を殺すように、とぼけたひょうたん型や、模様の入った卵の連なりや、血管の渦巻きに赤い虫が侵入してざわついてくる感覚の、深い思いと悪意と毒をも練り込んだ作品を運んできた。 やきものを、やきもので否定したい。 しかし否定という作品をつくってしまう、悲しみと嫌悪が入り交じった作品群で、すべてが熔けあわないで、何かを成り立たせたいのだというような、凄腕の展示力も見せた。
藤田はときどき、基礎を知らないままにきてしまったと言う。 自己流と熱狂でここまできてしまったなら、ずっとそのままがいい。やきものをやるのか、ガラスにするのかなどと悩むことはない。 陶芸や美術というジャンルも無視すればいい。どんなときも格闘技をするよう、憤怒なくしては制作できないのだから。
今回は400個もの土の礫も置かれる。 「大地は雨をうけるうつわ」という思いで、つぶては濡れ色をしている。うつわの呪縛から逃れようとして、けんめいに掛け続けている技を見せてくれるのだろう。
藤田の「一からやり直したい」と言うことばは、謙遜ではなく、世界と自分に向けられている憤怒のことばなのだ。今回も一からがある。




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