gallery2

中瀬康志 展

会期 : 2005年6月1日(水)〜6月28日(火)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

消えない輪郭


中瀬の鉄線の作品に出会ったのは2004年、国際芸術センター青森の天井の高い弓形のギャラリーでだった。鉄線でかたちづくられた鉢のかたちが、視野いっぱいに飛び込んできた。その鉢のようなものを覗き込むと、器をくみ上げる四方へ伸びる線の意匠はぜんぶ違っている。ひとりひとり、一匹一匹決して同じではない生命体のように、床から立ち上がる鉄線のくぼみはさまざまなかたちをしていた。水上に浮ぶ蓮を連想した。うつわのかたちなのにほとんどのものをとどめることはできない。つぼみから花開いていくそれぞれの一瞬のかたちが無数にあった。揺れてとどまって、やがて消えていくものがそこにあった。
その前年、2003年の越後妻有トリエンナーレでの儀明地区の民家を改築した作品は、家の床が天空から引っ張られるように飛び出していて、赤い毛氈を敷かれたそことその先は道行の断崖。しかし空へ繋がっていた。何もかもが宙に舞い続ける塵のための舞台だった。

展覧会を依頼した。あのつかまえられない鉄線の花をイメージして待っていたら、画像で送られてきたものは小さな木片の夥しい数の家だった。困惑した。すぐアトリエに向った。藤野町に住まいとアトリエがある。藤野町は芸術村を標榜し、その中でも芸術ロードと名づけられた道沿いに住んでいるのだと、恥ずかしくてたまらないという態だった。
2×4工法で用いられるメープル材を主にした5〜6cmの家、家、家。2階建て3階建て、ぜんぶ意匠が違う。展覧会には500棟くらいが並ぶ。中瀬はこの作品のために小ぶりな戸建ての家を500棟ちかく撮影したのだという。写真とこの木製の家を二重にして展示しようとも考えたらしい。だが私には、写っている家のどれもがとてつもなく怖く見えた。写真として目の前にある家の全部が、2時間ドラマのシリアスな現場のように見えてくる。家とは建築という物体であり、一緒に入ったものが家族というものになる面妖なしかけのものだ。家とは部屋という隙間に、にんげんと時間をまぜあわせて漬ける漬物樽のようなものにも思えてくる。樽のなかであらゆるものが、甘く酸っぱく渋く時には絶妙に発酵していく。
500の家を写真に撮った中瀬は、500の地霊をぜんぶ背負って漂着するようにアトリエに戻ってきたに違いない。500の家族を妄想した果てに、木片で乾いた墓標のような家型をつくることにしたのではないだろうか。木片の家型は簡素で透明で明るい。
画廊の壁に一本の線のように隙間なく家が並ぶ。それら時代や地域や様式もまじりあった切妻のかたちのスカイラインの前で、ことばを失う。
小さな型のものを「模型」というが、小さなときが「原型」なのだ。小さなものには、消え入りたい気持ちも、きちんと納まる。
中瀬康志にとって作品とは、つくりあげながら、消していきたい行為なのだ。展示期間中に、ひとつずつ買われて空っぽになってしまえばいいのだけれど、と呟いた。恥ずかしく思いながら圧倒的な数に向っていく作家は謎めいている。消したい地点に向って表現する作家がつくる遠い家並みの、消えない輪郭が迫ってくる。

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INAXギャラリー2 2005年の展覧会


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