gallery2

横内 賢太郎 展
-滲む筆致 揺れるドローイング-

会期 : 2005年9月1日(木)〜9月28日(水)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

動くものをとらえる


紙焼き写真に写らない作品が多くなった。映像作品もそうだが、絵画でもプレゼンテーションのファイルと実作が違うことが多く、作品は見に行くか、見せてもらう機会をつくるしかない。横内賢太郎のファイルの写真からは、奇妙な浮遊感が感じられたので、見に行くことにした。見て、展覧会を決めた。いま、あの時の感覚を思い出す。横内の滲み揺れる作品からは、この慣れ親しんだものとは違う世界へと導かれていく気配を感じたのだ。

横内の作品を手にとれる距離で見た。本人が包みを開けはじめると、キャンバスが濡れているように光り、揺れているように感じた。軽いめまいを起こしたように、キャンバスがゆがんで近づいてくる。
静物画のようにも思えるが、一点ごとに拡大と縮小とフォーカスが違う。アングルとトリミングも違う。本を開いたかたちの中に藍染めの磁器が描かれてあるような作品。作品の天地も作家の視線も90度倒して俯瞰するアングル。丸皿に描かれた小鳥のモチーフも、本のなかの皿なのか、テーブルの上に置かれた皿なのか、背景が定かではない。モチーフも背景も幾重にも溶けあっている。
絵画作品を語ろうとして、フォーカスやアングルやトリミングという言葉がこぼれ落ちてきた。モチーフを上下や左右を転回させたフレームでとらえ、視覚の膨大な容量を、溶液にして画面にとどめている。
静物画のように見えていたものは動物画だった。動物画とは動く物体が描かれているという意味のとっさの造語。描かれたモチーフも、紙もキャンバスも絵具も筆も何もかも、やがて朽ち果て塵のようなものになって宙を舞い続ける、動くもの。すべてのものは消えるが、どこかに永遠に動いて在るのだと感じられる。色の粒子が絡まりあって水溜りのように滲んでいる作品もある。
横内賢太郎の視覚は、静物を動く物のようにとらえる。動く物への編集機能が内在しているから、画面を濡れて光らせながら、モチーフの焦点を求めながら、その一瞬を、自らの絵筆で動くもののようにとどめる。
横内賢太郎は、何層もの空間感覚、遥かという時間感覚、水中や宇宙の重力のなかにある彼自身の感覚を描いている。
いくつかの作品をそう感じたままに見ると腑に落ちる。作品にあらわれているのは視覚の異能ではなく、彼の細胞の随意なのだ。作品が濡れたように、体液で描かれたように底光りして見えるのは、魚類に近い感覚なのかもしれない。若い作家のある時期の生理なのだろうか。
作品には脳髄に作用するもの、皮膚を通して射抜かれるものがある。滲み揺れる画面に、水中の愉楽の記憶が重なって、展覧会を待ちこがれている。

入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

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