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蘇れ!岡本太郎の「ダンス」プロジェクト
岡本太郎が常滑で制作したタイル画再生の記録

2011年02月24日

ニュースレター

INAXは、岡本太郎生誕100年を記念する事業の一つとして株式会社島屋(以下、島屋)が実施するプロジェクト、 蘇れ!岡本太郎の「ダンス」 において、約60年前に岡本太郎が常滑のINAX(当時 伊奈製陶)で制作したタイル画の大作『ダンス』の修復に協力しました。
1952年に完成後、1969年頃まで島屋大阪店の大食堂に飾られ、以降、島屋史料館に保存されていた『ダンス』は、2010年10月、愛知県常滑市のINAXライブミュージアム「ものづくり工房」に運び込まれ、詳細な調査と補修、洗浄の過程を経て、当時の表情を美しく蘇らせました。
岡本太郎の手の跡をたどり、作品と対話しながら取り組んだ修復作業の模様をご紹介します。

岡本太郎作『ダンス』 1952年 株式会社島屋所蔵
2,352mmx3,488mm モザイクタイル画
1cm四方のモザイクタイル57,389ピースで描かれている。

岡本太郎と伊奈製陶(現INAX)とのつながり

岡本太郎の『ダンス』の修復に協力してほしいという話が持ち込まれたのは、2010年1月でした。作品を所蔵する島屋が2011年に創業180周年を迎え、また島屋 大阪店の増床・改装工事が完了し3月に全館グランドオープンすることを機に、大阪店の新レストラン街のエントランスロビーに『ダンス』を改めて設置、公開するとのこと。1952年当時の制作工場であるINAXに声をかけていただきました。

岡本太郎は1951年、愛知県常滑市の伊奈製陶(現INAX)で初めてのタイルモザイク画『太陽の神話』を制作しました。翌1952年、岡本太郎は再び伊奈製陶を訪れ、日本橋高島屋地下通路のタイル壁画『創生』(現存せず)と今回のプロジェクトのタイル画『ダンス』を完成させています。この時岡本太郎は、常滑の工場に約1ヶ月間泊り込み、数10名の職人とともに『ダンス』の制作に取り組んだといいます。INAXライブミュージアム「ものづくり工房」は、やきものの技術・技能を伝承し、国内外アーティストとの交流や建築家・デザイナーとのコラボレーションを行っています。60年の時を経て、この岡本太郎と伊奈製陶のコラボレーションで生まれた『ダンス』の再生に関われることは、まさに、やきもの技術の伝承につながる最高の機会と考えました。

『太陽の神話』原画 個人蔵

『顔』を制作する岡本太郎 1952年撮影INAX蔵
当時常滑滞在中に制作した『顔』は太郎最初の立体作品で、父 岡本一平の墓に今も据えられている

太郎の思いを知り、太郎の思いを伝えるために

この『ダンス』修復作業にあたり、私たちは『ダンス』制作の背景や岡本太郎の思いを調べるところから始めました。
岡本太郎は、島屋美術部五十年史の寄稿において「芸術とは一部の人の占有物ではなく、むしろ大衆と結びつくことにこそ価値がある」と記しています。芸術の大衆化を訴える岡本太郎が、新しい絵画技術として可能性を見出していたのが、モザイクタイルによる表現でした。より多くの人びとが接することができる場所にふさわしい堅牢さ、オリジナル作品を量産できること、そしてなによりも原画で描いた色合いを再現できる、というタイルの持つ素材の力に惹かれたようです。
この岡本太郎の思いに応え、太郎の描くイメージを忠実に再現するために努力を惜しまなかった当時の職人たちになり代わって、作品の修復に取り組む。そして私たち自身、太郎の気持ちにどこまで近づくことができるのか?それが、蘇れ!岡本太郎の「ダンス」プロジェクトの出発点でした。

蘇れ!岡本太郎の「ダンス」プロジェクト 始動

1. 事前調査 ダンスとの対面と輸送

2010年1月8日、島屋史料館のある島屋東別館の1階で40年間保存されている『ダンス』を初めて確認しました。食堂に飾ってあったためか油や埃が表面にかかっていましたが、破損やタイルの剥がれもなく、予想よりも良い状態でした。タイルの状態や接着方法を確認するためタイルを数枚剥がしてみたところ、タイル裏面に当時の伊奈製陶のロゴマークが確認で きました。これらのタイルが伊奈製陶でつくられたものであると確信するとともに、美しく修復し、再び多くの人に観ていただこうと決意した瞬間でした。

1cm四方の小さなモザイクタイルの裏面伊奈製陶の頭文字をデザインしたISのロゴマークが確認できる。

約2.4mx3.5mの大きなタイルモザイク画を慎重に、トラックから下ろす。

作品の状態は良好であったものの、制作から60年を迎えようという大きなモザイクタイル画の作品には、心配な点が数多くありました。もっとも懸念されたのは、下地のベニヤ板にタイルを張っている接着剤の劣化です。分析の結果、現在ではタイル施工には使われていない酢酸ビニル系の接着剤*が用いられていることがわかりました。この接着剤は水に弱いため、水分によって接着強度が低下していることが予測され、状況によってはタイルを剥がして張りなおさなければならないかもしれません。大阪から常滑への輸送の際に少しでもタイルが剥がれるようなことがあれば、タイルを全部剥がして新しい板体に張り直すことも検討していました。幸い、輸送によるタイル剥がれや損傷は一切なく、関係者一同、ほっと胸をなでおろしました。

※ 酢酸ビニル系接着剤:

主として紙、繊維、木工用のボンドとして用いられる水溶性の接着剤。
現在でもドライエリアの木下地へのタイル張りの際に用いられることがある。

愛知県常滑INAXライブミュージアム「ものづくり工房」に運び込まれ、専用の架台で、修復作業を待つ『ダンス』

2. 里帰りした「ダンス」をすみずみまで観察し、修復方針を協議

2010年10月22日、愛知県常滑市にある「ものづくり工房」に、『ダンス』は慎重に運び込まれました。無事に届いた『ダンス』に安堵したのもつかの間、早速、タイルを一枚ずつ丁寧に確認していきました。タイル張り寸法2,352mmx3,488mm、用いたタイルピース57,389枚、色数は38色を数えました。タイル一枚一枚の凹凸や色使いに岡本太郎の痕跡を数多く発見する一方、一部下地のベニヤ板にひずみが生じている部分も見つかり、さらに調査のためタイルを数枚剥がしてみると、ベニヤ板の劣化も確認できました。
当初から展示場所への運搬を考慮し、分割するかどうかは検討課題でしたが、劣化したベニヤ板のひずみを解放するためにも3分割せざるをえないとの結論に至りました。こうして、切断面がわかりにくいように分割した上でタイル表面のクリーニングを行ない、展示場所に運搬、組み合わせた後、接合部分のタイルを再度張り付けていくという大きな手順が固まりました。

3. 下地板体の補強と分割 新しい発見

まず、ひずみが問題となった下地の補強を行いました。厚さ12mmの合板で裏側全体を補強したうえで、切断部分と運搬を考慮し、要所に角材で補強します。分割に際しては、切断箇所がわかりにくいようタイルの絵柄を考慮し、また剥がすタイルを最小限にとどめるため、複雑な分割ラインとなりました。このラインに沿ってタイルを剥がし、それらのタイルは場所ごとに正確に保管し、運搬設置後、まったく同じ位置に戻します。

『ダンス』裏面 分割ラインに沿って補強

このタイルを剥がす作業のなかで、新たな発見がありました。タイルの目地は1色で埋めていくのが一般的ですが、『ダンス』ではその鮮やかなタイルの色に合わせ、目地にもそれぞれの色がつけられていたのです。

分割ラインにそって剥がすタイル部分をテープで記す

タイルと一緒に剥がれた目地もできる限り拾い集め、再利用することにしまた。

鮮やかに着色された目地

4. タイル面の洗浄

通常、タイル面の洗浄には大量の水や洗剤を使います。しかし、『ダンス』には水に弱い接着剤が使われており、大量の水で洗浄すれば目地を通して水が染み込み、接着面を劣化させて接着強度を弱める恐れがあります。そこで、洗浄作業は必要最小限の水と洗剤(薬液)を含ませた綿棒を用いて、目地とタイル表面の汚れを一つひとつ丁寧に拭いていくという根気のいる方法で進められました。約3ヶ月を費やし、丁寧に洗浄した約57,000ピースのタイル面は、息をのむほどに美しく蘇生しました。
蘇ったタイル面を改めて観察すると、洗浄の前に考えていた以上に繊細に色分けされたタイルが使われているということがわかり、ここでもまた岡本太郎の色への思いを知ることになりました。クリーニング前に数えた色数は38色。当時のタイルのカラーチャート全77色の中からピックアップして用いたものと考えていました。しかしながら、クリーニングが進むにつれ、タイルの焼き上がりによって生じる濃・中・淡の微妙な色の差までも意識してタイルを使い分けていることがわかり、岡本太郎の絶妙な色使いを感じとることができました。繊細で微妙な色が多いため、使用した色数を正確に把握することはできませんが、おそらく100色を超えていたのではないかと思われます。

タイルを剥がした下地部分が見える。




1枚ずつ綿棒で汚れを落とす。

5. 最大の難関、こだわりの「赤」の再生

タイル面を蘇生させていく作業のなかで、最も技術者を悩ませたのが、「赤」の修復でした。岡本太郎はその著書のなかで語っているように、幼い頃から「赤」が好きで、とりわけ血を連想させる激しい赤に惹かれ、作品にも原色の「赤」を好んで使いました。

『ダンス』にも「赤」が使われていますが、「赤」の一部に表面の色が剥がれ、下から黄色いタイルが覗いている箇所がありました。岡本太郎の求めた「赤」は、実はやきものでの再現が最も難しく、当時の伊奈製陶のモザイクタイルのカラーチャートには存在しない色でした。

赤い塗料の下から黄色いタイルが確認された。

透明なコーティング材でオリジナルを保護。黄色いタイルが露出した部分には、コーティングの上から改めて赤い塗料を塗る。

しかし、あくまでも理想の「赤」を追究した岡本太郎は、黄色いタイルの上から赤い塗料で色をつけたのだろうと考えました。

この「赤」を通して、岡本太郎が作品にかける情熱が伝わってきます。この「赤」をどのように保存し、蘇生させるかについて何度も議論し、ぎりぎりまで検討を続けました。
島屋との度重なる協議の末、塗料が剥げたタイルについては、そのまま透明なコーティング材を塗って保存。岡本太郎の痕跡を残しながらも、岡本太郎の志をくみ、上から再度赤い塗料を塗ることになりました。

プロローグ

4ヶ月にわたる「ものづくり工房」での修復作業を経て、当時の迫力と鮮やかさを取り戻した『ダンス』は、3分割されたまま、2月15日トラックに載せられ帰路につきました。
島屋大阪店7階レストランフロアのエントランスホールで、再び約2.4mx3.5mの大きなタイルモザイク画として組み合わされ、継ぎ目部分には剥がしたものと正確に同じタイルが張られ、タイル色に合わせた目地材が詰められます。

剥がしたタイルを元通り並べる。

剥がした下地部分にタイルを張る。

繋ぎ目のタイルを張り、再現した色の目地を詰める

島屋大阪店がグランドオープンする3月、蘇れ!岡本太郎の「ダンス」プロジェクトは、いよいよ、次のステージを迎えます。

美しく蘇った『ダンス』を通して、「芸術は大衆のものである」という岡本太郎のパブリックアートへの思いが、訪れる多くの人々の心に届くことを願っています。大衆に受け入れられることで、プロジェクトは続いていき、岡本太郎の志も受け継がれていくと考えます。

【寄稿】『ダンス』復元によせて 島屋史料館 廣田 元

〜生誕百年に40年ぶりにお目見え〜

タイル壁画「ダンス」は1952(昭和27)年5月に東京都立美術館で開催された第一回日本国際美術展に出品され、その後10月に島屋大阪店で開催された「岡本太郎 渡欧記念展」に出品されました。ただし、設置されたのは7階催事場ではなく1階グランドフロアでした。
縦2.4m横3.5mのタイル壁画は重量も相当あり、当時はトラック便や貨車では輸送できず、無蓋車(屋根のない貨車)で東京から運ばれてきました。展覧会の後は島屋大阪店の改装にともない1階大食堂に移設されました。その後、1969(昭和44)年頃大掛かりな南海電鉄難波駅改修工事のため「ダンス」は撤去され、島屋東別館の1階通路壁面に移設されました。そこでは作品保護のため「ダンス」を木枠で覆って板を打ちつけ外部からは壁の一部としか見えなくなってしまい、ごく一部の人たちを除き、多くの人の記憶から消えていきました。

〜発見された「ダンス」〜

私が島屋史料館の担当になった時、先輩から「ダンス」の話を聞き、何とか現物を見たいと思っていました。島屋美術部創設100年の記念に島屋が所蔵する美術作品のDVDを作成する機会があり、そこに是非「ダンス」を載せたいと提案し、保護していた木枠や養生を撤去する機会を得ました。 こうして約40年振りに姿を現した「ダンス」は年月を感じさせないみずみずしさで、平成23年3月に島屋大阪店が全館グランドオープンするときに、新設されたレストラン「なんばダイニングメゾン」7階の入口に設置することが決まりました。
ダンスの復活が決定したものの、いったいどうして取り扱えばいいのか見当がつきません。何人かの美術館の学芸員に相談しても適切なアドバイスがなく、数年前に常滑市にあるINAX世界のタイル博物館に行ったことを思い出し電話したところ、INAXライブミュージアムの後藤さんを紹介いただきました。
後藤さんには早々に島屋東別館にお越しいただき、今までのいきさつや今後の大阪店での展示計画を説明し、専門的な調査と助言をお願いしました。後藤さんがタイルの状態や接着の方法を調査するため1cm四方のモザイクタイルを数片剥がしたところ、小さなタイルの裏側に菱形の中にISと彫られたロゴマークが現れ、INAX製であることが判明したのはたいへんドラマチックで、この瞬間にINAXさんで「ダンス」の点検・補修が決まりました。

〜岡本家と島屋〜

島屋と岡本家との繋がりは古く戦前からで、父君の漫画家 岡本一平氏は島屋のポスターのイラストを描いたり、母君の詩人・小説家 岡本かの子氏には着物の新作発表会の評論を寄稿していただいたりしていました。当社の社員が岡本宅へ原稿をいただきにあがると、タンスの取っ手に紐が結び付けられており、その一方に太郎氏が結び付けられていたそうで、執筆中のかの子氏にかわってオシメを替えてあげた、という「伝説」があります。
戦後島屋は岡本太郎が所属していた「二科会」を支援していた時期があり、1952(昭和27)年、東京店の増築の際、東郷青児にエレベーターの扉絵(現存)、彫刻の笠置季男には外壁にオブジェ(現存)を作成依頼しています。岡本太郎氏は「ダンス」に先駆けて島屋東京店地下鉄日本橋駅連絡通路のタイル壁画「創生」を作成しました(「創生」は現存しません)。その後島屋東京店のショーウインドウを飾って「アッ」と言わせたり、太郎氏のデザインしたスキー板を販売したり、島屋各店で個展を開催するなど、島屋とは長くおつきあいが続きました。

世の中がすこしうつむき加減になっている今日この頃、生誕100年のこの時期に岡本太郎氏の作品「ダンス」が島屋大阪店に再登場するのをみんなで拍手をもって迎えたいと思います。
万国博覧会公園にある「太陽の塔」とはまたちがったメッセージ、島屋にとって、お客様にとって「楽しさ」「元気」「夢」を鮮やかな色彩と強烈なコントラストで吹き込んでくれると確信いたします。そして新たな島屋大阪店の名所として、ミナミのアートスポットとしていつまでもみなさんに親しんでいただけることを願っています。

廣田 元(ひろた はじめ)
1947年生れ。島屋本社美術部史料館 副館長。

島屋大阪店美術部のマネージャーを経て、2005年より島屋史料館勤務。  島屋だけでなく、百貨店が近代文化にどのように貢献してきたかを多くの人に知っていただき、これからも百貨店を支えていただけるよう、研究とPRに努めています。

『ダンス』再生を通して感じたこと INAX文化推進部 後藤泰男

「岡本太郎さんになったつもりで」が、このプロジェクトの重要ポイントと考えていました。岡本太郎さんの痕跡をたどりながら修復を行ったわけですが、着色した目地材、微妙な色合いを活かして配置されたタイル、「赤」へのこだわりなど、修復が進むにつれ発見があり、当時、太郎さんが何を考え、なぜこの色を使ったのか、なぜこのタイルをここに選んだのかを考えました。まるで、太郎さんと対話している気分でした。おそらく、太郎さんの指示に従いモザイクタイルを敷き並べた当時の伊奈製陶の職人たちも「岡本太郎さんになったつもり」で作業にあたっていたのだと思うのです。
作業していると、当時の職人たちと岡本太郎さんとの強烈なやり取りが眼に浮かんできます。アーティストと職人たちはお互いに元気をぶつけ合ったのではないでしょうか。対話する相手が元気だと自分も元気になれることは、昔も今も変わらないと思います。当時の職人たちが、どれほど岡本太郎さんから元気をもらい、楽しくそして熱く仕事をしたのか、容易に想像できます。
「もの」が語るとは、よく言いますが、まさに『ダンス』が我々に、当時のものづくりの楽しさ、こだわりを語りかけてくれ、同時に元気をもらうこともできました。これからは、島屋を訪れる人びとに、何かを語りかけてくれると思っています。

【蘇れ!岡本太郎の「ダンス」プロジェクト情報】

2011年3月1日午前10時30分〜
岡本太郎『ダンス』除幕式を開催
島屋大阪店の全館グランドオープンにさきがけ、大阪店7階「なんばダイニングメゾン」エントランスロビーにて新生『ダンス』公開。

問合せ先:棋島屋広報・IR室(関西)安川TEL:06-6631-5499

【INAXライブミュージアム概要 http://www.inax.co.jp/ilm/

土とやきものが織りなす多様な世界を「観て、触れて、感じて、学び、創り出す−5つの発見館」(「世界のタイル博物館」「窯のある広場・資料館」「土・どろんこ館」「陶楽工房」「ものづくり工房」)で構成される体感・体験型の文化施設。「発見と継承」をキーワードにものづくりの心を伝えるとともに、土ややきものとのふれあいを通じて五感を刺激するワークショップや体験教室など躍動感あふれる活動を実施。

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