
青花流水のルーツはINAXライブミュージアムがコレクションする染付古便器にあります。これは19世紀末から20世紀初めにかけて、日本で流行した磁器の便器であり、INAXの本社にも近い、愛知県瀬戸(常滑と並ぶ日本六古窯のひとつ)を中心につくられ、明治、大正の人々をその美しい、あでやかな青と白の意匠で魅力したものでした。
(写真:染付古便器)
染付古便器は白の素地をベースに、青に発色する呉須(コバルト)で花鳥草木が精緻に描かれたものです。

染付古便器は、明治、大正年間、人々の衛生観念の高まりとともに、人気が増します。制作者の名前入りの高級ブランド品も多数登場し「清らかさの美」の代名詞となってゆきました。青と白の染色が生みだすこの「清浄の美」は、日陰の場所だった便所を、特別な「もてなし」と「やすらぎ」の場に変えていったのでした。
(写真:REGIO)
トイレを美化し、人々の心を日々刷新し、ケの場所をハレの場所へと変える染付古便器の方向性は、REGIOの精神とも合致するものです。

日本で染付と呼ばれる磁器は白地に藍の顔料を使用した文様を描いたもので、中国ではこれを青花(チンホワ)といい、英語ではブルー&ホワイトと呼ばれます。染付古便器のような青花白磁は、もともと中国の景徳鎮から伊万里へ、さらに瀬戸へと伝わった磁器製法によるものでした。
(写真:有田焼)
日本初の磁器は1616年、朝鮮人陶工・李参平が有田泉山で磁器原料となり陶石を発見し、中国の明代末の染付や赤絵を手本にして焼きあげたものといわれます。これが後に有田焼と呼ばれるようになります。

宋代、元代に流行した青花白磁でしたが、中国の内乱により、欧州では景徳鎮製の入手が困難になってしまいます。そこで有田焼が、17世紀中ばから伊万里港から長崎出島を通じ、欧州に大量に輸出され当地の王侯貴族たちを魅了したのでした。有田焼は青花白磁の代替物になったのです。有田焼が中国の意匠、技術を手本に、日本独特の造形感覚でつくりあげたように、染付古便器も中国をルーツとする日中関係の産物といえるでしょう。
(写真左:マイセンの官窯)
ドイツのアウグスト王は、有田焼を参考にマイセンで官窯を始めたのでした。
(写真右:呉須)
染付に使用された呉須(コバルト)はすべて中国から輸入していました。

青花流水の文様の世界には、抽象的な「草花文様」や「花鳥文様」が特徴的な有田焼の文様と、明治から大正期のリアリズムや写生主義の影響を受け写実性の強い文様が多い瀬戸磁器の文様が共生しています。また、余白を味わい、間を感じる器といわれる青花白磁の精神性を受け継いで「白を生かす」世界観となっています。白は背景ではなく、文様そのものであるという考え方です。
(写真左:有田焼(上)、瀬戸磁器(下))
菊、牡丹、梅などが抽象的に描かれる有田焼と、周辺の山や庭をそのまま写したような写実的な瀬戸磁器。
(写真右:白が際立つ文様)
伊藤俊治
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。20世紀イメージ考古学、電子美術論などの著作の他、文化庁芸術文化振興基金審査委員、東京都写真美術館企画運 営委員、国際交流基金国際展委員などを歴任。「日本の知覚」展(クンストハウス・グラーツ、ヴィゴ現代美術館)などのキュレーション多数。