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豊饒の近代建築展
−下村純一の眼−

ごあいさつ

近代は〈機械〉の時代でした。大衆と大量生産の〈マス〉の時代でした。そして輝かしい未来に向う〈進歩〉の時代でした。 しかしいま、その近代が問われています。チャップリンの「モダン・タイムズ」に見るような機械は、すでに時代遅れの厄介者になりつつあります。マスは味気ない平準化=規格化を生みだしました。そして進歩の思想の裏側には、荒廃した地球の姿が影のようにはりついています。

このような〈近代〉の最も具体的なあらわれを、私たちは建築に見ることができます。鉄とガラスとコンクリートに象徴される近代建築は、機能性とひきかえに、冷たい幾何学で都市に合理の画割りを押しつけました。 そしていま、そのような〈近代〉は終わったという声があります。理想と倫理を高らかに掲げていた近代主義が、忌むべきものとして指弾されています。少なくとも、建築や美術をはじめとする現在の文化状況をにぎわせているのは、ポスト・モダンをめぐる議論です。

しかし、近代建築は、はたしてそのようにつまらないものだったのでしょうか。原理と倫理にのみ忠実な規範としてあったのでしょうか。そのようなものとしてとらえることは、じつは私たちの視野に、またひとつ別の枠をはめてしまうことになるのではないでしょうか。〈近代建築〉をひとつの時代の様式として、一定の距離を置いて見ることができるようになったいまこそ、そこからさまざまな読み取りをはかる必要があるのではないでしょうか。 そうして見るとき、そのおよそ100年にわたる厚みのなかから、これまで近代主義の規範からこぼれ落ち、あるいは切り捨てられて、ほとんど顧みられなかった多様な表現の相が、そのディテールにおいて、またそのテクスチュアにおいて、豊かに立ちあらわれてくるのです。ヨーロッパの近代建築の巨匠たちが、伝統をひきつぎ、あるいは新しい素材に挑戦するなかで、ときには自ら課した規範にさえ逆らうようなかたちで、いわば親密な手ざわりの領域として残した表情の数々――それらを、まさに彼らと同じように親密なカメラの眼ですくいとったのが、写真家、下村純一さんです。

近代建築を新しい眼で見直すことを意図し、下村さんの10年近くにわたるヨーロッパ近代建築行脚の成果を、前期・後期2回に分け、パネル展示いたしました。とりあげられたのは、E・ギマールの「カステル・ベランジェ」(1894-98)からミース・フォン・デル・ローエの遺作、西ベルリンの「ナショナル・ギャラリー」(1962-68)、ル・コルヴュジエの遺作「ル・コルヴュジエ・センター」(1964-66)、さらにハンス・ホラインの「レッティろうそく店」(1964-65)にいたる42作品122点。隠されていた近代建築の美をディテールを中心に再発見する展覧会でした。

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図録・BOOKLET『 豊穣の近代建築』(在庫切れ)
INAX出版が発行する建築とデザインを探検するシリーズ



会 期 (終 了)
ギャラリー1 ギャラリー大阪
1984年8月〜10月 1985年3月〜4月



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