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大工彫刻
−社寺装飾のフォークロア−

ごあいさつ

ことさらに「日光東照宮」をひきあいに出すまでもありますまい。 たとえば身近なところで、ご存知、寅さんのふるさと、柴又の「帝釈天」を思い浮かべてください。「彫刻寺」といわれているとおり、彩色こそほどこされていないけれど、建物の上から下まで、全面が精緻な彫刻づくめ―龍がのたうち、獅子が吠え、そして仏教の故事にちなんだ物語がくりひろげられています。 その世界の、なんという過剰さ!じっさい、「過剰」という以外に語るべき言葉のないようなすさまじさです。

社寺を問わず、近世の宗教彫刻をいろどるこうした彫りものの類いを、いったいどのように理解すればよいのでしょうか。 もちろん、桃山文化の開花を経てのち、武家社会の勃興を背景に、その権力と栄華を刻印づけるものとして、社寺建築がさかんになるなかでの、その勢いの副産物にはちがいないでしょうが、どうもそれだけではかたづけられそうにもありません。 それらの多くは、江戸時代後期、専門の彫りもの師が職業的に分化されるまでは、「番匠」と呼ばれる大工たちの仕事の一部でした。 かれらのうちで、とくに彫りものに秀でたひとが、施主の注文に応じて、伝承された図像のパターンをもとに、腕のかぎりをつくしていたのです。

ところで、ここで興味深いのは、当時の権力体系におさまる施主の思惑とは必ずしも関わりなく、これらの大工と民衆とのあいだに、彫りものを媒介とした "交感" が生成されていたらしいこと。 根強く残る左甚五郎神話にみられるように、著彫刻を得意とする大工は、いわば民衆の賞賛や喝采を後ろ盾に、パトロンを求めて各地を渡り歩いてその技倆を見せ、民衆もまた、「名人」の評判を聞きつけ、かれらに制作を依頼して彫りものを社寺に寄進することもあったようです。 とすれば、ここに、多くは無名のままに埋もれたとはいえ、いわば「民衆のスター」としての彫りもの大工の姿が浮かびあがってきます。 いささか大仰ないい方をすれば、かれらは、近世社会のハレの舞台を演ずる、芝居の役者にも比すべき芸能者だった、とみることさえできるようです。―そこでの交感がもたらした、あの過剰。 じつのところ、こんにちにいたるまで、こうした「大工彫刻」には、ほとんどアカデミック研究の光が当てられたことはなく、その成立の詳細はいまだに歴史の陰にかくされたままです。 「桂離宮」をほめそやし、「日光東照宮」を蔑むのと同じ「知」の色メガネがわざわいしたせいかもしれません。

それはともかく、モダニズムの行き詰まりが云々され、あらゆる表現世界が大きな混沌におちこんでいるようにみえるいまこそ、逆にこうした、一種バロック的な豊穣さの世界とそれを生み出した背景に眼を向けることは、大変意義深いことではないでしょうか。

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図録・BOOKLET『 大工彫刻』 (在庫切)
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会 期 (終 了)
ギャラリー1 ギャラリー大阪
1986年9月〜11月 1986年12月〜1987年1月



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