gallery2

2004年7月のINAXギャラリ−2 Art&News
松村泰三 展
― あるものは見えない、見えないものはある ―

会期 : 2004年7月1日(木)〜7月28日(水)
休館日:日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

錬空術

入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

松村泰三の2回目の展覧会タイトルを「あるものは見えない、見えないものはある」とした。もう17年も前、村松泰三がまだ学生だった頃に、ここで展覧会をした。そのときの印象で残っている感覚が、空間で見ている光の作品なのにとてもリアルだったことだ。一列に並べた点滅する光源を、高速で回転させてできる残像による様々なかたちに、なにもかもがこの空間の、この空気の中にあるのだと感じていた。
いま松村泰三の光とそれらがつくり出す変幻の色を目にして、そのときと同じように、空気や水や空までが急にからだにまとわりつくようにリアルになった。発するものも消えていくものもリアルだと感じさせるのが松村のちからだ。

松村は17年前も今も、ほんの少しだけコンピュータを使う。ほとんどは高速回転や上下運動の動力で、人間の視覚や物質や粒子や時間のほんの少しのズレにはたらきかける。
大気中のそこここに、見えないものが密集しているらしいということは中学か高校の理科で習った気がするが、それらのどこにズレがあるのか、どうしたらズレをつくって見たこともない光のかたちや光の束になるのかは、何十年も大人をやっているのにいまだに理解できない。理解できないから仰天し感動しているのかもしれない。
だが「あるものは見えない、見えないものはある」という確信だけは年々強くなる。科学と芸術という対立するかに思われるジャンル分けは間違いで、科学と芸術というそれぞれの多重人格が、くるくると変幻してあらわれる一瞬の貌を、あるときは科学の目で、あるときは芸術の目で見ているのではないか。科学と芸術はあるときは二手にわかれて、一枚のコインの裏表を同時に捜査をしているようなものではあるまいか。見えるということは、手をのばせばそこにあるものが私に向ってくるという他動詞で、手をのばしてもそこに無いものにうたれるときは、感じるという自動詞を使う。他動詞が事実で自動詞は計測できないと思われるが、感じるほうには確かな波動が生じている。

今回は「surface」と名づけられた作品を中心に展示される。「surface」は回転する物体表面からの光反射間隔を3原色のストロボと同期にすることと、人間の眼の残像を利用して「3原色の加色混合」を出現させたものだ。色が物体と光の加減から生まれたものだが、円盤に立てられた小さな白い幾何形が回ると、なぜこれほどまでに鮮やかで、ありえないような無段階の光の色彩の束が出現するのだ。ストロボという光と、もうひとつの光の反射間隔を同調させると、なぜこのようなことが起こるのか。
松村泰三は自分を視覚の欲望が強いのだと言う。見えないものを見てみたいやみがたい欲求にしたがって、自分をも観客をも興奮にみちびく。
今回は、圧倒的な光の色彩の渦で空間を満たす作品と、見ようとする先は真っ白な壁があるだけなのに、小さなのぞき穴を通して見ると過去か未来を覗いているような、ふしぎな懐かしさがある作品も展示される。
原理としては説明がつくことを、空間の中で簡素な装置で、圧倒的に見せてくれる松村泰三のちからは、錬金術士ならぬ錬空術士とよびたいちからである。

入澤ユカ
(INAXギャラリーチーフディレクター)




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2004年の展覧会



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