gallery2

鶴見幸代 展
- 眼裏のかたち -

会期 : 2004年12月1日(水)〜12月21日(火)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

眼裏の絵画


「眼裏の太陽」ということばは、作家三島由紀夫が自決した直後、雑誌「新潮」の追悼号に寄せた文芸批評家保田與重郎の文章の中に出てきたものだ。三島を愛惜し、存在の強烈さがまぶたの裏に「眼裏の太陽」のように残る、という意味だったと思う。
日盛りに日輪を見上げると、目を瞑ったまぶた裏に、黒い点のような丸いかたちが残る。それは暗闇に黒々とあらわれて、身体にいつまでも残る。その現象は残像と呼ばれるのだろうか。いや、眼裏のかたちは、光の中で見ているものの、まるで芯のようなリアルさがある。その感覚を知ってから長い時間がたった。数年前から光の作家ジェームス・タレルの作品をいくつか体験したが、それらにも眼裏の図像のような、目を瞑らないと見えてこないかたちや、残像のように、遅れて芯がやってくるような感覚があった。

鶴見幸代の視線は、「残像」あるいは地と図の「地」に立脚している。日盛りの太陽を直視できないのは、目を防御するために働く身体機能だというが、強烈な光線のもとにあらわれる眼裏の図像にも似た作品や、私たちの目の前に「地」と「図」があっても、図だけを見てしまう作品で、視覚の習性に異議をとなえている。
自らを「直射日光依存症」と語り、作品タイトルにも同名があらわれる。光と闇を往還している鶴見幸代の作品には、いくつか興味深いプロセスが見られる。
「copy」という作品は、観葉植物のような図像を、コピーという光学作用を十回繰りかえし、輪郭に幾度かのコピーでできた色彩をわずかにとどめた黒いかたちだ。その図像を壁一面に貼った、室内空間を模したインスタレーションで見せたのは、白地に植物模様を連続して広げたとたんに、図像は壁紙の柄となってしまうことだった。窓辺には無地のカーテン、床にはペルシャ柄のじゅうたん。そしてテレビが床置きされている。テレビの画面には、壁紙のモチーフが映っている。見える光線と見えない光線の混在から、あなたの見ているものは何?と問いかけてくる。
真夏のビーチ、真夏のベイブリッジ、真夏の入道雲。眩さの光景のポストカード大の写真を並べた作品には、それぞれに汚れのような筆致の、油絵具を塗りつける。明るい観光写真に、油絵具の染みを印して、いま見えているものに一時停止をかける。ぐにゃっとした油絵具の染みを見つめて、はじめて鶴見幸代が浴びた光の量を感じる。
かつて絵画がうまれるアトリエという場所は、北向きにつくられた。日中の光が一定しているからという理由で。その頃は、あわあわとした光に、ものが、ひとが見えていた。
いま光にあふれている。コンビニエンスストアやファーストフード店、テレビやパソコン画面からも。路面のショップや高層ビルも発光し続ける。眼を焼き尽くすほどの光のなかで、何も見えない。かたちは、眼裏にひそんでいるのよと、鶴見幸代は眼裏にかたちを探している。

入澤ユカ
(INAXギャラリーチーフディレクター)

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