INAX GALLERY 2

1998年4月のINAXギャラリ−2 Art&News
北村真行展 −雲形の絵画−

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



理解のうちそと

田口安男 (画家)

気軽に使われている現代美術という用語を耳にしたり、目にするたびにとまどいを感じてしまう。
「現代美術」と「現代の美術」とはちがうのだろう。「現代の美術」がそのまま「現代美術」にはならないし「現代美術」がそのまま「現代の美術」として次なる時代の種子となるわけではない。現代美術という語は広がりがありすぎて、印象派とか立体派とかアンフォルメルとかいうスクールと並べても落着かない。
多様なジャンルの潮境いにアートの新しいエネルギーは発生する。というより、今日のあらゆる事象が、混沌そのものが新しいものを生む母胎。とりあえず現代美術という言葉がその上にかぶさっているということなのだろう。

これまでの私は美術を教えるという場にあったのだが、若者の才能の芽生えには、常に新芽の持つ一種異臭のようなものがつきまとうものなんだなと振りかえる。
学生に、こんなきまり切った、他人と似ている、古いことやっていていいの、と言うこともあるし、こんな簡単なことを新しいと思ってやっていては、自分の才能の一部しか働かないんじゃないの、と疑問を呈することもある。だがそのどちらでもかまわないと思うようになった。教えるなんていう立場の理解不能の思いをよそに、若者はみずから意識できぬ情念にいざなわれてつき進む。
古い世代の理解という名の枝葉におおわれてしまっては、若者の新しい芽は太陽に向かって伸びることができない。事実、何年かたってじりつと世に出てゆく若者は、その学生時代にさかのぼってみると、先生の言うことはきかないで困らせてばっかり。要するに、やたらなエネルギーに溢れた学生であったりなのだ。

私はひところから、イタリヤ中世の頃に盛んになった祭壇画の板絵技法を自分の表現にしようと試みてきた。気ばっていうなら黄金背景空間…。時折に、学生たちと実習の時間を持った。そんな時、北村君は仲間が膠石膏下地を何度も塗り、削り上げ、金箔を置き、メノーの小道具で磨き込む一部始終をちらっと眺めているだけだったようだ。
年あらたまって気がつくと、彼は身の丈に余るパネルの全面に、白く光る銀箔を貼り、わずかに貼り残された部分が、どうやら現代の記号のようでもある。だが、記号とみえたものにはひそかにある一つの時代を堀り起こす彼の狙いがあるのかもしれない。
いわゆる整った絵画技法の視点から見れば未完成。いや描く以前。だが北村君は未完成という局面の、ある一瞬の首根っこをつかまえ、現代の目で微分してしまった。彼は表現を身につけはじめたのかもしれない。

金箔、銀箔を置いた仕事なんて古いと見ることも可能だが、今日の表現として絵画で彩色の画面に鉄やアルミをとりあわせる仕事も一方にはあり、北村君の触手は自然にメタリックな空間に伸びていったのであろう。
北村君よ、はなれた世代の視野なんてものからはみ出してゆくことだ。一匹の野生として。
ただ、身近かな競争相手の一人から「オレはな、オマエの仕事だけはいいと思う」そんな風に耳もとでささやく一人の友を持つことだ。




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