INAX GALLERY 2

1998年8月のINAXギャラリ−2 Art&News
英ゆう 展 −劇的画−

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



まだ名前が見つからない

入澤ユカ
(INAX文化推進部チーフディレクター)

4、5年前に気づいたのだが、メディアで呼び習わす「アーティスト」というのはロック系かヴィジュアル系かは判然としないが、ミュージシャンをさしていると知ってびっくりした。
ならば今までの美術ジャンルのアーティストは何と呼ばれているのか。どうやら「作家」というらしい。
しかし文学ジャンルの作家も「作家」ではないか。あるいは文学ジャンルにも呼称の変化があるのだろうか。
こんな疑問が急にわいたのは、英ゆうに会ってからだ。

壁から空間にせりだしてくる厚みのある平面作品をつくる英ゆうは、しばしばオリジナルなコスチュームとメークで身を飾ってパフォーマンスもしている。普段よりは目立ちたいが、パフォーマンスをするのはもっと自分をさらけだしたいからだと語る彼女は金色に染めたショートカットのヘアスタイルで現われた。いまふうでとってもよく似合う、彼女ならばさもありなんと思った瞬間、私こそが先取りの失態。彼女の無心の仕掛けの罠にかかってしまった。
ファッションやメークも彼女らしいと思わせたら、幕が上がる前に彼女の舞台公演「英ゆうという日常」はすでに成功だ。

脚本「英ゆうという日常」の膨大な細部に、手の込んだ仕掛けを考えて生きている若い作家に俄然興味がわいてきた。もしかして彼女は「アート」や「アーティスト」ということばにかわるものを見つけ、自分だけにふさわしい呼称を産み出そうとしていのではないか。

彼女は京都市立芸術大学卒業後、1996年ロンドンのコスチュームの学校でも学んでいる。描くということだけでいうならば、メーキャップも描く行為に似ているが、コスチュームをつくることや着てみることに関心を示す英は、身体性が特徴の作家なのだ。

身体や感覚の記憶がひとつひとつかたちになっていき、やがていくつかがピンナップされ厚みを増していく。記憶のピンナップはテレビ画面の瞬きや映画の特撮、看板やネオンやコンサートの光や音や仕掛けまにで及ぶ。あらゆる名詞・動詞・形容詞、もののかたちや色も切り分けて標本にしていく。ある時は絵日記。ある時はアルバムだ。大切なアルバム。分厚くなっていくアルバム絵画。
そんな彼女に一番似合わないのが「芸術」や「芸術大学」や「芸術家」という衣裳だったような気がしてきた。もしかして美術系のアーティストたちが「アーティスト」という呼称を盗まれていたというのは間違いで、自分たちから放出してしまったのかもしれない。

今は作家という文学系の呼称のなかにやどかりのように間借りしているが「若い・現代・美術家たち」は少しづつ渦を起こしながら、やがて竜巻のように鋭いスパイラルで自分たちに似合わないこの世界を吹き飛ばし、つくり変えたいと思っているのではないだろうか。

生きている時間と記録を全部持ち歩いているかのような英ゆうの作品。まるでショッピングバッグレディ・アート。壁から羽が生えたように層になって広がる作品からは、無数のコスチュームやアクセサリー、お気に入りの小さな道具や雑貨などのモノや、現実と映像、日常と舞台、素顔とメークなど対比の振幅も写し出す。誰でもその対比を生きているが英 ゆうは誇張と非現実が自分には似合っていると信じているみたいだ。
誇張と非現実からの出発とは、美術でも音楽でもない、詩でも手紙でもないと否定し続けながらも意志を失わないで何かに向かう疾走の旅のことだ。

ムービィカメラが音もなく、絶えることなく回り続けている中で、自分の生きている時間全部をセルフタイマーで記録し、その全部を自分で使い果たそうと試みているかのように見えたから、なんだか切なくなって彼女の展覧会をしてみたいと思ったのだ。




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