INAX GALLERY 2

2000年4月のINAXギャラリ−2 Art&News
谷山恭子 展
−空間散歩 −

会期:2000年4月3日(月)〜4月26日(水)
休館日:日曜・祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



近くて遠いもの

西村智弘(美術評論家)

わたしたちは時間のなかを生きている。しかし、なぜわたしたちは、刻一刻と推移する時間のなかにあって、変化することなく「わたし」でありつづけることができるのであろうか。ここに二種類のわたしを区別することができる。ひとつは、時間的な推移のなかでたえず変化しつづけるわたしであり、もうひとつは、この変化のなかにあって同一であることを保持しているわたしである。

しかし、つねに同一でありつづけるわたしもまた、時間的な経過のなかで形成されたものであろう。おそらくこの場合のわたしとは、繰り返し想起される記憶が長い時間のなかで積み重ねられることによってつくられたものだ。この記憶の積み重ねが不変的な「わたし」を形成している。わたしとは記憶の沈殿物であり、それが「いま」という時間的な変化のなかにある自分自身を支えている。自分が自分でありえるのは、わたしたちが記憶をもっているからにほかならない。

ところで、記憶もまたたえず時間のなかで変化している。ある記憶は、たとえ最初は鮮明であっても、長い時間のなかで少しずつ印象が薄れていき、漠然としたものに溶解されてしまう。記憶とは「わたし」から不断に遠ざかっていくものだ。しかし、記憶を呼び起こそうとするとき、それはいまという時間のなかに現れる。遠ざかっていた時間が現在に向かって近づいてくる。この近づきは、しかし遠ざかりという事実を消滅させてしまうわけではない。 記憶は遠ざかったままの状態で想起される。とするなら、記憶とは遠ざかっていると同時に近づいてくるような存在だといえよう。記憶は近くて遠いという曖昧な性格をもっている。

谷山恭子は、日常生活のなかで出会ったさまざまなものに触発されて作品をつくる。それは、ピーナッツであったり、キッチンであったり、あるいは車に乗っていて見かけた風景であったりする。こうしたさまざまなものは、彼女の個人的な関心や空間的な嗜好によって選択され、最終的に金属などを素材とした立体作品に仕上げられる。

選ばれた対象は谷山が過去に出会ったものである。それは彼女の記憶のなかに存在している。しかし彼女は、それをもとのとおりに再現しようとはしていない。できあがった作品は、選ばれた対象と似ていながら、漠然とした曖昧なかたちに変容されている。つまりそれは、彼女から遠ざかっていく時間としてとらえられている。しかし彼女は、それをいまの時間のなかに出現させる。遠ざかっている時間をいまの自分に接近させている。とするなら、そこには近くて遠いという性格を認めることができるだろう。彼女の作品は、記憶のようなものとして存在している。

わたしたちは谷山の作品をいまの時間のなかで体験する。しかし、作品はわたしたちの記憶を触発し、わたしたちのなかで遠ざかっていた過去の時間を呼び起こす。彼女の作品は、わたしたちにとっても近くて遠いものとして存在している。それは、記憶のような体験のなかへとわたしたちをいざなう。そのときわたしたちは、彼女自身の記憶ばかりでなく、わたしたち自身の記憶とも対話することになるだろう。

そして、もともと記憶が「わたし」という存在を支えているものであるとするなら、谷 山の作品は、自分が存在することの本質にも接触しているといえるのではないか。つまり彼女の作品は、自分が自分であることの確かさ、あるいは不確かさをわたしたちに問いかけているようにも思えるのだ。




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