入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)
気配とは、そこを成すいろんな物質の粒子の融合のかたちなのではないだろうか。
駅には電車の電磁波やレールの金気、通過した人々の体臭が渾然と満ちた気配があり、寂れた飲食店のシャッターには、酔客の相手で疲れきったその店の主人のからだごとで持ち上げてきた幾千日もの疲労と手跡の気配がある。部分にも、空間にも、素材にも家具にも、道端にも気配はある。
下関という町は、狂おしさがいましばらく静かに眠っているような気配の町だった。
酒百宏一は金沢で生まれ育ち、東京で学生生活とそれに続く日々を過ごし、いま下関にいる。その酒百の作品は一見すると、赤瀬川原平や藤森照信、林丈二、南伸坊、一木務という稀有な面々の建築探偵団の視点に似たものをもっていた。建築探偵団とは、じぶんの生理をまなざしにして、町をみてものを見て細部を見た、視覚における革命集団だ。団員はたがいの心身の差異によって見えてくるものを尊び、ありとあらゆるものが誰かに待たれている存在なのだと教えてくれた。どんなものにも、いわくいい難い面白味のようなものがあり、面白味やよろこびは、人にはなかなか知られないかたちをしているものだという教えをひろめた伝導集団でもあった。
酒百は、建築探偵団世代から20年近く若い。直接彼らの行為に影響を受けたかどうかはわからないが、彼じしんの必然にかられて、いま町に触れている。町のあちこちをフロッタージュすること、それ自体はそれほど目新しい手法ではなかったが、ひそやかに、丁寧に、フロッタージュをする酒百のたたずまいが気になった。
現在20代から40代くらいまでの世代の、日々のできごとや纏うものや、食したことまでを記録する「日記アート」「家計簿アート」ともいうべき「毎日アート」の発生に、何かの予兆を見る思いがしていた。今日いちにちの事態やものを欠かさず記録をするという、生きているリアリティをものとの遭遇の記録に置き換えるというスタイルには、生きていく事態と似たリズムがあって、引き寄せられるのかもしれない。
酒百ははがきサイズに町の一部を写しとる。異素材が組み合わさっていく境界の切り方に、とびきりのセンスを見せる。線も色彩もみごとに美しい。そのまなざしで町まちの、電柱やベンチや、看板の一部や、道路の部分のような、だいそれた意図ももたずに、ただそこにあることになったかに見える事物を、丁寧に、美し過ぎるかたちにして、産み直していた。彼はまるで修行僧のように、あるいは電気メーターのように休みない。
酒百の行為とは、デザインというものが、美しいかのように整理することであり、ひとつの意味に縛っていき、多くの人が了解できるものに向かっていくことに、静かなノンを言い続けている行為なのではないか。下関という町からはじまった、彼が産み直した、1000個のノンのかたちが画廊に満ちる。