gallery2

2003年4月のINAXギャラリ−2 Art&News
渡邉朋憲 展
― 木のかたち・ゆるやかな往還 ―

会期 : 2003年4月1日(火)〜24日(木)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



往還する感覚

入澤ユカ (INAXギャラリーチーフディレクター)

会場写真

渡邉朋憲の木の立体を見て、なぜこうした作品がすきなのかと自らに問うてみると、李朝風ということばに行き着く。言いようがないから、李朝風と言うのだが、チョウナで削ったような無骨な肌合いの、どんな用をもつのか不分明なかたちの孤立感に、気持ちが傾く。私の李朝風とは、寡黙なゆるさ加減をもつものが、空間でひきおこす豊饒な間合いのようなものを指しているが、渡邉の作品にはそれに似た気配がある。
中世日本民家の仏壇の原形のような扉のあるハコ、水を呼ぶ長い樋、降りてくる山海の神を迎える柱と座面をもつかたち、窓も網目もない虫入れのような木の壷。渡邉のかたちとは、そこここの気配を寄り付け、招くもののようだ。

彫刻家は近代からこんにちまで、人体や静物、幾何学や抽象と、形態ごとに分業のように領分を決めていると、感じてきた。それは多分この国の彫刻家とは、仏師の系統を背負ってきたからだ。仏像は、象徴性と求心性をもって空間にある。私は彫刻作品に、仏像に向き合うように接していた。その、彫刻とうまく交感できないこわばった距離感を、一気に溶解させてくれたのが韓国のシム・ムーンセップと、展覧会時には26歳で夭折していた八木正という作家の作品だった。
シムや八木は、木という素材を体内に生まれもっているかのように、素材に引き算だけで答えを出していた。素材に向かう作家の、眼差しと内在するちからに触れ、はじめて彫刻というものと親和した。
渡邉の作品には、はっきりした信仰心ではないが、しぐさが無意識にあらわしてしまう敬虔さのような、近づくことも離れていくことをも包み込む、往還を許す感覚が内包されている。
劇的な構成をしない。見つめることを強いない。振り向くと消えてしまっているような、ぼんやりとした感覚だけが残る。私はいつも、既視と未視のあいだ、あることとないことの中に漂っているが、それは美術という範疇のできごとなのだろうか。
ずっと、美術ということばには、素材がぬけ落ちていると思ってきた。美術ということばは、美という最終形は、術をつかえば可能になるという字面に見えていた。美術は、素材と人の関係に触れていない。
渡邉がなぜその素材を選び、なぜそのかたちで、その位置においたのか。言いあらわし難いが確かな一瞬があって、展覧会が決まった。それは、私の回路と作家の回路が繋がったからではない。私が知らなかった私の回路が反応したからだ。視覚がとらえたものがことばとなって出てくる装置、そう、犬語翻訳機「バウリンガル」の視覚版のようなものが発明されたら、素材感知能力や、空間設置能力などが、美の術の根底にあるのだと明らかになるかもしれない。
同じ空間で、同じものを見ていながら、ひとりひとりに劇的な差異の感覚がやってくるからこそ、私たちは見るという行為へ向かっていく。
渡邉朋憲の木の立体のあいだを、ゆっくりと回遊したい。記憶のフラッシュバックと新たなものが、淡雪のように降って消えて積もっていくだろう。




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