gallery2

2003年10月のINAXギャラリ−2 Art&News
福本潮子 展
― くうかんの変幻のぬの ―

会期 : 2003年10月1日(水)〜29日(水)
休館日:日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。


おぼろげという官能

会場写真 あっと思ったときにはすでに、それをどうしても欲しい気持ちで見つめていた。福本潮子の布の茶室の前で、その中にいる感覚を空想して、時を忘れていた。そのときの感覚は、天候や季節の一瞬や旅のなかでおこる、体感の幸福感に似ていた。ときどき福本の忘れがたい茶室を、「月見の蚊帳」と呼んだり、「蛍籠」と呼んでは思い出して、いつかその中に包まれてみたいものだと夢想してきた。

福本潮子の近作は神前の幕や茶室など、空間をつくるもの、隔てるもの、背後の世界を示すものなどと、スケールが大きくなりつつある。色彩はほとんどが藍としろで、しろは色彩の白ではなく、藍をにじませるための、深い霧のようなしろだ。染色とは、何度も水をくぐって現れ出でてくること、そして、水を含んだ大気に触れて、ひとときも同じ色をとどめおくことはないという事態にある表現なのだ。福本の藍がつくる、たなびく霞、礫や霰、雲間から射す閃光、月の弓形を見て、染色という手法が宇宙観や空間観を表現してしまう必然を、強く感じた。藍が深く遠い空間を示す色のように見えてくる。藍は空の青、闇の漆黒をまぜあわせたような色とも言えるから、小宇宙になぞらえられる茶室や、神前の幕にうつしだされていたのだ。
私たちは藍を、日本独特の色のように思ってきたが、古代からの色ではない。日本以外にも見られるが、どちらかといえば労働の、実用の色であった。糸で織られ、染料で染め上げられ、にんげんの肉体を包んできたと布の歴史の中で、藍という色彩を「日本の色」と感じる特殊な感覚がなぜ生まれたのだろうか。
藍とは地であり抽象であり、水であり変化する気候なのだ。現れて、洗われて、顕れていくもので、時がそこに宿り、変化しつづけるその全部を感知して、日本的なのだと思ってきたのではないか。

展覧会という装置にあって、作品と肉体のあいだでおこる波動は毎回違う。今回の福本潮子の幕や椅子に張られた作品を、画布や彫刻に見立ててはいない。インスタレーションということばでは違和がある。作家自身が、工芸というジャンルで制作をしていると自覚的に語る、その中のひとつのかたちである。ただ、見るという行為がきわめて習慣性をもった感覚によることを、作品は問うてくる。藍や藍染めがつくりだすものにきちんと触れ得ないままに過ぎてしまっては、何か大きなものに触れ得なかった無念さが残るという私の体験を敷衍して、福本潮子の展覧会を願った。布の茶室や空間の幔幕がつくりだす、おぼろげという曖昧で無限な官能性に掬われてみたかった。皮膚へ、空気へ、記憶へ、水へ、空へと誘う、いちまいの布という事態に絡めとられて、まとってまとわれてみたかったのだ。

入澤ユカ
(INAXギャラリーチーフディレクター)




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INAXギャラリー2
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