gallery2

手塚愛子 展
- 糸の浮橋 織のきざはし -

会期 : 2005年4月1日(金)〜4月26日(火)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

糸の浮橋 織のきざはし


ああっ、こんなことが表現の深奥に隠れていたと思った。手塚愛子のゴブラン模様の布から白色の縦糸を引き抜いた作品は、楕円のボディにからみつくドレスをまとった、女神のような姿態であらわれた。花や葉がからみあった模様織から、弧を描くように引きぬかれた白い糸が滝のように床にながれ、布の裾で渦をまいて絡まりあった作品「縦糸を引き抜く 新しい量として」とであったのは、2003年7月大阪のアートコートギャラリーだった。糸の飛瀑を浴びた。


人は土の精、木の精、布の精、紙の精、金属の精などに分類できる。確たる理由がないのにどうしても捨てられない物質が、きっと自分の精だ。私は着古した服が捨てられない。古服に、過去の事象や時間が纏わりついているからだと思う気持ちも、少しある。だが布を裁ったり繕ってみると、一着のジャケットでも何千メートルにも及ぶ長さの糸で織られていることを知る。とくに幾重にも交差する模様織の無数の色糸は、どこかとつながっているコードのように感じられ、ただの古着なのに私と外の世界をずっと交信してきたもののように思えてならなかった。

手塚愛子は織りや糸に強い思いをこめてきた。6個の円形に布が張られた「縦糸を引き抜くー5色」は、緑、赤、青、黒、黄がそれぞれ引き抜かれてラインダンスを踊るように配列された作品だが、それぞれの円の一部がわずかにぼんやりしている。色糸が引き抜かれていくさまは、具象から抽象への時間のようにも見えてくる。あるいは引き抜かれた個所は欠如でありながら新しい命のさまでもあった。

私は彼女の作品から無数の深い声を聞いた。無数の言霊ならぬ糸霊の表情を見た。作品は私的なふるえるものに届いてくる。展覧会タイトルを「糸の浮橋 織のきざはし」と古風な命名にしたのは、織ることや編むことのあらゆるかたちや意味を忘れかけているという思いに突きあたったからだ。

2004年の「織られたものーもろさとともに」、同年「織られ得なかったもの」など、手塚は作品のタイトルに行為と状態を暗示しながら決意を表明してきた。その思いの強さからか、時として制作時のタイトルが変更される。現代社会への苛立ちをあらわすといったニュアンスのタイトルから、いま沈思する時間をもったに違いない新作が生まれてきた。

新作「織り直し」はこれまでの激しい矢のような主張から、もっと無数のにんげんや営みの不分明なものが織りこまれている。横長の窓枠の両端は、花柄と幾何学模様のつづれ織の部分が残され、ふたつの生地から引き抜かれた膨大な量の色糸を平織りに織り直されたものが、ショールをまとったうしろ姿のように佇んでいる。織り直したいさまざまが、やわらかく不揃いの相貌をしている。少し前の、商品や西欧システム、価値観の見直しをうながすという本人や批評のことばを忘れて、私はただ手塚愛子という美術家のまなざしが発見した比類のないものがここにあると伝えたい。

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INAXギャラリー2 2005年の展覧会


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