ハンガリーは、西暦896年、東方からヨーロッパにやってきたマジャール民族によって建国された。その後千年にわたり、モンゴルやトルコに占領されるなど、波乱の歴史をたどりながらも、独自の言語と豊かな伝統文化を形成してきた。とくにオーストリア=ハンガリー帝国の時代(1867〜1918)には、民族意識の高まりと急速な工業化によって、ハンガリーはヨーロッパの中でも独特で、華やかしいアール・ヌーヴォーの建築と応用美術を開花させた。
レヒネル・エデン(1845〜1914)は、まさにこの時期に登場した建築家であり、ハンガリー建築に、さらにはヨーロッパ世紀末建築史に名を残すまでに有名になった人物である。当時のハンガリーの建築家の多くはまずドイツで建築を学んでいた。そのため、首都ブダペストの建築もドイツ建築の影響を受けて折衷主義、様式主義的なものとなった。レヒネルもこの影響を受けたひとりだが、一方でマジャール民族の伝統装飾への関心も多分にあった。それが形となってあらわれたのが、ハンガリー建国千年祭の年(1896年)に建てられた「国立応用美術館」であり、まるでマジャールのエネルギーが噴出したような建築となった。その後も、国立地質学研究所、旧郵便貯金局と立て続けに公共建築を設計し、ブダペストという世紀末都市に独自の表情を与えた。
ヨーロッパの他のどの都市にも見られない圧倒的な迫力を持つレヒネルの建築の特徴は、なんといっても建物のあらゆる部位にやきものをふんだんに配したことだった。これは、レヒネルがもともとセラミックに対し強い関心を抱いていたことに加え、ジョルナイ工房のセラミックと出会ったことによって、レヒネル自身、その可能性を充分に実感した結果である。こうして、セラミックを多用した装飾主義と有機的な造形意匠は、レヒネル様式とよばれるほど、その後のハンガリー建築に決定的な影響を残すことになった。
レヒネルはマジャール民族の伝統を踏まえ、同時代のアールヌーヴォーや東方への憧れを交配することによって、ハンガリー建築史を塗り替えたのである。
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