gallery2

甲斐すみ子 展
-プランツ・シューズ-

会期 : 2006年3月1日(水)〜3月29日(水)
休廊日 : 日祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。

プランツ・シューズ


甲斐すみ子の作品は写真だった。自分が摘んできた花で靴のかたちをつくり、それを写す。摘みたてのものと、少し時間がたち萎んで枯れたものを写している。靴なのにいつも片方だけだ。ファイルでは摘みたてのものと枯れたものは見開きで、対比のつながりが見えるように配置してあった。片方だけの靴は、楕円の壷のかたちにも見える。花は、枯れたものの方が生々しく感じられた。
 ある土地にある時に開く花々もまた、あらゆるものの有為転変の光芒の一瞬だ。

 甲斐すみ子は1992年、30代後半になってから渡仏した。それ以前は東京でイラストやデザインの仕事をしていたという。フランスに渡り美術を学び直し、1997年から当時暮らしていたトゥールーズで、周囲にある桜やマロニエ、タンポポ、アカシア、アジサイ、菊などの花で、靴のかたちをつくりだした。まず針金で自分の足のサイズにあわせて型をつくり、藁などで針金を包むように編み上げる。その網目に花を挿していく。
 甲斐すみ子の写真を見た瞬間を思い出す。よくある趣味のフラワー工芸のひとつだと見紛うところだった。ファイルを見てから、その時奈良で開催中だという彼女の個展を見に行った。
 手元に引き寄せて見た写真は、奈良の画廊空間では、はじめて見るもののように異形だった。靴のかたちに挿されていった花の片々が、額装のアクリルの膜の先で凝固していた。花芯までくっきりと写された小花の密集した靴型は、異様なオブジェクトだった。ファイルで見たときの不安定な感覚が、ここでようやくことばになった。
甲斐すみ子の花の靴は、写真にも、画廊にもおさまりきれるはずのない、花という名の何かの肖像だった。きれいな異形の、寄る辺なく浮かび、漂うものだった。単に花という植物の先端部位の凝縮のかたちなのに、花の外皮にも、壷のような円弧の穴にも、さまざまなものがぎっしりとまとわりついていた。
 表現されるもののなかには、作家の意図をこえて、きれいで美しくみえるものの肩にそっと乗って、別のものを連れてきてしまうことがよくある。甲斐すみ子の花の靴は、そういう作品だった。
 花は、芸術のあらゆるジャンルに溢れている。彫刻にも絵画にも工芸にもデザインにも。日常の、茶碗にも下着にもカーテンにも時計にも現れてくる。花はまた、数え切れないほど擬人化され、比喩や暗喩で語られてきた。花はまた、至上の美の無辜の貌でやってくるものだった。

 花という正しさに、靴の、ここではないどこかへ向かう希望を重ね、フランスにも咲く桜やタンポポやアジサイや菊を配した。それら幾重にも隠された喩の毒が、写真にはくっきりと写しだされる。無辜なるものは、痛覚をもたらす。

 花や靴の見慣れた映像に、甲斐すみ子が摘んできた、フランスのリアルで空虚で、きれいで異形な映像が、いま新雪のようにふわりと降り積もる。

入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

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