INAX GALLERY 2

1999年3月のINAXギャラリ−2 Art&News
河崎晃一 展 −色彩の時間−

会期:1999年3月1日(月)〜3月29日(月)
休館日:日曜・祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



「具体」の落款

入澤ユカ
(INAX文化推進部チーフディレクター)

一枚の印刷物から強烈な呼びかけを感じることがある。沢山の画廊からの案内を繰っていると、ふと手がとまる。河崎晃一の作品もそうして出会った作品だった。
『「植物染料によって染めた布によるコラージュ」私の仕事を一言でいえば、こう言えるだろう。』初めて見た印刷物の彼自身の冒頭の一行だ。

作品はすべてが植物染料で染められている。色の出方は触媒との混合で違ってくるという。
染色という作品の特徴は、極端に発色と退色の時間的な揺れの中に置かれていることだと思った。発色させるという手品のような行為と、現われた色が一瞬も同じ状態にとどまらない切なさ。つかまえられない営み。何よりも興味深いのは、色彩が水彩絵の具やセロハンを重ねたときのように、たとえば黄色と緑の重なりの部分が黄緑色に見えてくるわけではないということだった。思いもかけない色が現われてくるという。重なりあった布の部分はあたかも生きているもののように変化をおこすというのだ。たおやかに思える日本の植物染料で染められた布が、思いもかけず、重なり合った部分で生きて蠢めいているという想像で、この作品の放射してくるものの正体がつかめた気がした。

作品と経歴を見て、彼が作家活動とともに「芦屋市立美術博物館」の学芸課長であるということがわかったとき、彼のことばが自身と彼が関わっている美術や博物学をとりまく世界にも投げかけられていることがわかった。「美術作品と呼ばれるものの価値観は、作られた時の状態をいかに保持していくことができるかが重要な要素となる。日々変化していく作品などはもってのほか。まして、修復のしようがない作品は論外である。しかし、すがたかたちが時間を経て、全く変化しないものが存在するのだろうか。(中略)作品の持つ色は、今しか見ることができない。時間を経て、作品の退色を感じるとき、それは私たち自身が老いていることに他ならない。」

そしてまた彼は資料集の編纂やベネチアビエンナーレ('93)の野外展示など「具体」というグループのその後と深く関わってきた。彼の作品が私によびかけてきたのは「具体」一族の風貌をしているからなんだと理解した。「具体」の影響をうけた最後の世代の、宣言とオマージュ。
旗揚げ世代ほどの劇的で直接的な表現がもう失われてしまった時代に、それでも彼らの激しさとこころざしを好ましく思い、敬愛している河崎の心意気が伝わってくる。

河崎の作品には、記憶の色彩中枢に流れるように真っ直ぐ入ってきて、「きれい、きれい」と溶けあいたくなる観客に、もっと深く感じてほしいとうながすように、画面のなかに鉄粉の溶液をぶちまけてあるものがある。そこで立ち止まらせる。でもその個所こそが「具体」の落款のように、あるいは「具体」の表札のように思えて、私は嬉しくて笑った。私は作品の前で、何度も鉄粉の部分を画面からとりのぞいてみたが、そうするときれいで穏やかになってしまう。鉄粉の試みは十全には成功しているとは思えないが、この部分がなぜ墨や絵の具ではなかったのかと推理してみた。

もし墨や絵の具ならば、重なりの布の色畳とよべる全体のコンポジションが支持体になってしまうからではないのか。彼は「染色ということ」「支持体に描かないこと」「重ねた色が全く予期しない色として現われてくること」「色が一瞬たりともとどまっていない」芸術のありようをきちんと伝えたかったのではないか。反骨精神と面白がりたい「具体」の哄笑が、いま美術や芸術に一番足りないからだと嘆き、だから自分がつくってしまったのだ、きっと。




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