INAX GALLERY 2

1999年5月のINAXギャラリ−2 Art&News
屋代敏博 展 −太陽と鉄塔−

会期:1999年5月1日(土)〜5月27日(木)
休館日:日曜・祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



ナイーブな ちから

入澤ユカ (INAX文化推進部チーフディレクター)

屋代の作品をはじめて見たのは、3年ほど前になる。銭湯というテーマで写真を撮っているから見て欲しいという紹介で会ったが、それらは単に銭湯の記録写真ではないことがひとめでわかった。ひと気のない、湯が張られる前の、静寂な空間写真だったが、まるで一つの空間に大きな鏡をたてて写したように、真ん中から寸分違わぬ空間が左右に開いていた。いやよく見ると寸分、違っていた。男湯と女湯は少しだけ空間の意匠を変えてある。そのときの感覚は、確信して道を歩いていて、ふと少し違う道かもしれないと思った瞬間の困惑に似ていた。鏡に写したような相似形の片方のどっかが、いきなり、動きはじめた。差違のどこかが動きになったとき、空間がものがたりを語りはじめた。銭湯で男湯と女湯は同じようで違う。同時に見ることのできない場所、異なった性の側には決して入れないという日常にある非日常も秘めた場所。男湯と女湯が抱擁するように構成されていた屋代の作品は、私に強烈な印象で残った。コロンブスの卵だった。たった銭湯という空間さえも、男湯と女湯を中心線で対照して見せる表現はなかった。彼が写した印画紙には、沢山の人々が裸で過ごした濃密な気配や、音や匂いまでが沈みこんでいるような気がした。

それから2年たち銭湯のほかにも写しているものがあるといって見せてもらったのが鉄塔だった。真四角の沢山の印画紙はみな同じアングルの鉄塔だった。あやとりの一瞬のかたちのような、四隅からひっぱられて屹立し、中心のあるかたち。どの鉄塔からも感電しそうなエネルギーの放射を受けて、身体が応えた。 銭湯のシリーズをはじめた彼が、あっという間に発表タイトルを「空間シリーズ」から「時空間シリーズ」に「時」の1文字を加えて変えたとき、彼自身がどこに向かっているのかを自覚したのだ。確かに存在するのに目に写らないもの、時間と空間やエネルギーを写しとる自分の資質に気がついたのだ。そしていくつかの場所の太陽を写した写真を見たときに、彼の特異さをもっと深く理解した。かたちにならないエネルギーを感得する受容体としての資質とともに、印画紙というモノにエネルギーや時間を定着させることができる、大いなるナイーブなちからを。

ピンホール写真機とは、見ているものをいったん目をつむるように消したけど、瞼をあけたらやっぱりあった、そんな「いないいないばー」をしたときのような無垢な喜びを記憶できる装置なのかもしれない。ピンホール写真で太陽を写しとりたいという衝動は旅の途中でおきたに違いない。若い屋代にとって、ガンジス河やニューヨークで見た太陽は、日常の太陽とまったく別ものとして見えた。昂ぶりや震える気持ちが伝わってくるような写真だ。太陽に向かって、胸に暗箱を掲げて、ざぶざぶと河を歩いた時間が踊るような光の線になる。このシリーズは見ているものが写した場所と時間にとりこまれていくような体感的な作品だ。鉄塔の真下に寝転んで、垂直に見上げ、鉄塔のてっぺんに目をこらしている屋代が写したのは、鉄塔の幾何学的なかたちばかりでない。鉄塔の真下に寝転んでいる緊張感とこころおどる胸のどきどきも写っている。




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1999年の展覧会



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