INAX GALLERY 2

1999年8月のINAXギャラリ−2 Art&News
筒井礼歌 展 − 傷の記録・版の日記 −

会期:1999年8月2日(月)〜8月28日(土)
休館日:日曜,8月12日(木)〜8月16日(月)

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



時の記録・版画という近い過去

入澤ユカ(INAX文化推進部チーフディレクター)

若い世代の平面作品のモチーフの多くが、身の回りの小さなものや、極めて個人的なシーンになってきたと、ある日急に腑に落ちるように感じたことがあった。90年代に入って間もなくだと思う。
乱暴な推論だが、小説家の吉本ばなな、版画家山本容子、この二人のジャンルが違う作家が放った気分のようなニュアンスが、多くの若い作家に与えた影響は計り知れない。
気分と言ったが一方は言葉の、一方は視覚の固有さが放ったオリジナルなものだったのに、多くの表現に「モチーフという衝動」を自分たちの皮膚感覚まで敷衍してもいいのだ。
あるいは皮膚感覚こそが「私が表現したいもの」なのだというひろがりを見せて、思いがけないほど大きな力として作用した。
それ以来、私という身の上のできごとや、慈しんでいるものこそリアリティなのだという傾向は強まるばかりで、その意味でも二人の登場は表現の世界にとっておおきな出来事だったと思う。


筒井礼歌は若い男性の作家だ。
礼歌という名前が本名であることも時代の流れのように感じたりしながら「バランスをとりすぎない展覧会をしましょう」と言って展覧会を決めたことを思い出す。
彼の作品のどこかに、激情を見出したかったのかもしれないと思い出す。
もう時代おくれのような、激しいというものが好きな自分の傾向を試す意味もあったのかもしれないと思いだす。

版画は版という完了への最後の工程を通すことで、どんなモチーフをも、妙に静まりかえった清らかなものに変換してしまう力がある。版が生々しさを吸い取ってしまうかのように。この吸引の魔力は恐ろしい。
やきものにも共通するが、刷る・焼くという行為で多くのかたちが、味のあるというニュアンスにも変換されてしまう魔力もある。ある時期その魔力を越えていかなければならない。
その際にいたのが筒井だったのかも知れない。

銅板に刻まれた線の深まりやぎざぎざのかたちは、言葉にはならない声紋の重なりのように感じられる。
あるときは苦渋に満ちて、あるときは晴れやかに画面に踊っていることもある。彼だけではないが、若い作家の作品、立体や映像すらも「いま」を綴る日記のように感じられた。

個展とは、日記の公開に踏み切る行為ではないのか。まるやしかくの幾何学形も、またある時の象形文字のような図像も、可能なら音楽のスコアから音を読みとり、無音の音を聞いてほしいという表現なのではないか。演奏をする展覧会から、スコアで伝えるという形式に変化してきた。


木版・銅版にかかわらず版画作品とは、常に「少し前の時間」が現われてくる表現なのではないかと思う。
たった一瞬版を通すだけなのに、その一瞬で作品に「記憶」のような時間が刻印される。
版画という表現が多くの人々を惹きつけているのは、どんなモチーフからも生々しさが消えて、静まりかえるからではないか。苦渋や、悲しみ、ユーモアすらも少しまえの時間になってみればようやく安心して受けとめられる。

しかし筒井の作品に黄色な染みか錆のように見える色彩が現われてくる一連の作品があって、どう版を通しても静まらない作品がある。
「Sight」見る、あるいは光景と読めるタイトルの作品からはこぼれるように、体温のある生きているなにがが押し寄せてくる。




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1999年の展覧会



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