INAX GALLERY 2

2001年1月のINAXギャラリ−2 作家略歴
山口勝弘 展
−ドラゴン・ストリーム −

会期:2001年1月5日(金)〜1月27日(土)
休廊日:日曜・祝日



作家略歴

会場写真 現代のメディアアーティストとして活躍している山口勝弘は、1948年大学在学中に初めて抽象絵画を発表し、日本大学法学部法律学科を卒業した1951年、第2次大戦後の最も早い時期に、インターメディアの活動を目的とした実験工房を結成し、詩人瀧口修造の下に造形作家北代省三、作曲家武満徹のほか、写真家、照明デザイナー、版画家など13名が集まり、オリジナルバレー「生きる悦び」の上演をはじめ、演奏会、ソニーの開発したAutomatic Slide Projector による映像作品上映会、電子音楽と造形的インスタレーションなど多角的な活動を展開してきた。
1950年代は独創的な構造をもった光学的原理に基づいた「Vitrine」の作品シリーズを発表し、高い評価をうけた。

1960年代に入ると立体的な彫刻作品の制作を始め、天井や壁面を用いた環境的な展示方法を考え、1965年にはニューヨーク近代美術館の日本前衛展に選ばれている。
1965年以降アクリル樹脂を材料とした光の彫刻を制作し、1967年ニューヨークのグッゲンハイム美術館の国際彫刻展に招待され、雑誌、新聞で作品が掲載されるなど、高い評価によりロックフェラー財団のコレクションに選ばれている。
1968年には東京の国立近代美術館賞を受け、同美術館のコレクションとなる。1967年には1960年代の美術、音楽、建築、展示デザイン、服飾、食事など幅広い分野についての著書「不定形美術ろん」を出版した。
1968年にはヴェニスビエンナーレ展の日本代表に選ばれ、光の彫刻「KISS」等を出品した。

1970年大阪で開かれた国際万国博覧会EXPO'70 では三井グループ館の総合プロデューサーに指名され、建築計画から上演作品「スペース・レビュー」の装置、演出を含む総合ディレクターとして活躍した。
なお1960年代からパブリックアートの作品制作を含む建築デザインや庭園彫刻の制作を始めている。
1971年よりビデオによる芸術表現に注目し、アメリカとカナダに続いて、日本ではじめて「ビデオひろば」のグループを結成し社会的なメディアとしての可能性の実験と芸術的表現を始めた。
その後1972年コンピュータアートのグループを結成し、ビデオ作品や「コンセプトリップ」を発表する。
1975年のサンパウロビエンナーレには日本代表として出品し、ビデオインスタレーションにより特別賞を受賞する。
1977年にはビデオによる個展「ビデオラマ」及びビデオ、ポラロイドカメラ、カラーコピー機などを組合せたマルチメディアの個展を開く。

1981年には神戸市で開かれたポートピア'81のテーマ館に数多くのビデオインスタレーションを展示し、会場でポートピア国際ビデオアート展の開催を組織する。
1980年代にはメディアによる芸術活動を組織化するためグループ「アールジュニ」を結成し、コンピュータアート、ビデオアート、ホログラフィアート、キネティックアート、ライトアート、電子音楽などの若いアーティスト活動を支援する。
1986年には兵庫県立近代美術館で大規模な「ビデオスペクタクル銀河庭園」を発表し、後にイタリア、カメリーノの電子芸術祭に招待される。
1980年代から90年代初めにかけ、ジェノヴァ市で開かれた「日本前衛の未来展」に招待され、同年ロカルノビデオアートフェスティバルの個展で大賞「黄金のレーザー」を受ける。
1989年には日本で初めてのメディアアートのビエンナーレ展「アーテック'89」が始まり、そのディレクターの1人として活動する。

また1992年定年を迎えた筑波大学では15年間筑波大学芸術学群総合造形の教育により、数多くのアーティストを育てる。またその間、芸術研究科長、芸術学系長、芸術学群長を歴任し、筑波大学名誉教授となる。
1992年より神戸芸術工科大学に移り、視覚情報デザインの学科主任となり映像文化史、メディア文化史などを教育する一方大学院修士課程、博士課程で多くの学生指導に当たる。
この間、パリ市立近代美術館、パリユネスコホール、カーディフ文化センター(ウェールズ)、アントワープ現代美術館、ブエノスアイレス国立美術館等、世界各地で個展、作品展を開く。
また舞踊と映像メディアによるパフォーマンスの上演をパリ、ニューヨーク、マドリッド、ミラノ、モスクワ等で発表する。
また東京都現代美術館企画運営委員会委員、東京都写真美術館運営委員会委員、原美術館評議員、セゾン文化財団評議員、NTT・インター・コミュニケーション・センター 評議委員会委員等を務める。
また東京大学、御茶ノ水女子大学、九州芸術工科大学、武蔵野美術大学、東京造形大学等の非常勤講師を務める。

1950年代からアートと科学技術についての評論活動を行ない、著書として「不定形美術ろん」「環境芸術家キースラー」「ロボットアヴァンギャルド」「映像空間創造」「メディア時代の天神祭」などを出版するほか多数の評論を発表している。
1990年以降の活動として、1991年「ラディカルチップ 日本現代視覚芸術展」(カーディフ市ウェールズ)において個展を開催。
1992年に第1回世界環境芸術会議を兵庫県一宮町で開催し、淡路島芸術村の推進計画を内外に発表する。
1993年「第14回ロカルノ国際ビデオアートフェスティバル」においてヨーロッパ委員会名誉賞を受賞し、OPERAとの共演作「メタボリズム・イン・ロカルノ」に対してロカルノ市グランプリを合わせて受賞する。
1994年淡路島芸術村の工房として淡路島山勝工場がオープン。
1995年「第15回ロカルノ国際ビデオアートフェスティバル」において山口勝弘回顧展を開催。
同年「光州ビエンナーレ・インフォアート展」にビデオ彫刻を出品。
同年、東京都現代美術館エントランス・ロビーに「光と音のインスタレーション」、同じく中庭パティオに「音のインスタレーション」を制作し、恒久展示となる。
1996年「現代美術の手法 山口勝弘個展」を練馬区立美術館で開催。
同年新宿オペラシティのギャレリアに、20mにわたるパブリックアート「音の気配」を制作し、恒久展示となる。
1997年「第5回名古屋国際ビエンナーレ アーテック'97」にメディア・インスタレーション「三幅対の庭園」を出品。
同年愛知県芸術文化センターに於いてパフォーマンス「コラボアート-環-」の総合演出を行なう。
1998年5月にはブエノスアイレスで開催された国際シンポジューム「第15回Journees de la Critique」に招待され講演を行なう。
また7月には東京都写真美術館の「エレクトロニカリー・ユアーズ 電子時代の新たなる肖像展」へ「FleeSt. It Art Rope 」と「メディア福笑」を出品。
9月にはICCギャラリーの「バベルの図書館展」に「モレルの発明」を出品する。
1997年に引き続き愛知県芸術文化センターにおいてパフォーマンス「コラボアート-縁-」の総合演出を行ない、好評を得る。
12月千葉市美術館の「草月とその時代展」には作曲家武満徹の音楽とのコラボレーション「Wave Length」のために薄明空間の設計及び映像の制作を行なった。
1999年3月末をもって神戸芸術工科大学退官のため、同大学KDUギャラリーにて「マルチメディア時代のパブリックアート展」を開催する。
9月東京・佐谷画廊で山口勝弘個展「電脳影絵遊戯」を開催。
11月に大阪市立住まい情報センタービルの吹抜け公共空間ロトンダ及び商店街側公開空地において、また12月には2001年開館予定の台北市第2美術館入口ホールに、それぞれマルチメディア型パブリックアートを制作し、恒久展示となっている。

2000年4月には川崎市岡本太郎美術館で開催された「万歳七唱―岡本太郎の鬼子たち展」に「メディアサーカス」などの作品を出品。
9月から富山県入善町の下山芸術の森・発電所美術館にて個展「闇2000光」を開催している(12月17日まで)。

環境芸術家。株式会社環境芸術メディアセンター代表。筑波大学及び神戸芸術工科大学名誉教授。


山口勝弘 HP
http://www.threeweb.ad.jp/~yamart/




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