INAX GALLERY 2

2001年5月のINAXギャラリ−2 Art&News
朱雀正道 展
− 受動写真 −

会期:2001年5月1日(火)〜5月29日(火)
休館日:日曜・祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



無意識が写すもの

入澤ユカ
(INAXギャラリーチーフディレクター)


朱雀は編集者だったこともあるらしい。デザイナーだったこともあるらしい。だから作品のテーマについて整理して語る。ことばの端々に、それが編集という行為なのだと感じさせる口調なのだが、私には語られることと作品はかなりずれているように思えた。それより彼が同じようなアングルで写している写真のいくつかに、ざわめきとしか言いようのないものが写っているものがあって、そこが興味深かった。
気持ちがいいとばかりいえない、ざわざわした感覚を写し撮る能力をもったひとりの人間への興味からこの展覧会は決まった。
建物の天井に近い一隅、幾何学形のドアの取っ手、空に浮かぶ雲、そして人間の手がしばらく入っていないように見える杉の数本などを繰り返し撮っている。何でもない風景の、その静けさを表現したいという意味のことばを彼から何度か聞いた。その時でも、その印画紙に写っているものは名づけようもない唐突なエネルギーのある一瞬の姿だと思っていた。
土地や建物や植物に引き寄せられていきながら、引き寄せられたものから撮らされている、受動的な写真だと思った。 同じ紙焼きの中に、ざわめいているものとざわめいていないものがある。それらを無意識に写してしまう彼の資質と感覚を検証してみたいと思った。
少し前までプロの写真家は対象に入魂のエネルギーをそそいで、それが被写体の輪郭を強くしたり、深みのようなものを浮かびあがらせてくれるように思い、プロとアマチュアの差はそこにあるといった思い込みで語られてきたのが写真という表現だった気がするが、今はカメラの性能が格段に進化し、人間の眼や腕ではなく、カメラそれ自体が何かを掴むように写しとってしまうようになったのだ。 だから浮遊するエネルギーのようなものまでが写ってくるようになったのではないか。無意識にレンズを向けても、空間の仄明るさの中にこもっている何かが、カメラに反応して粒子の色となってあらわれてきた。
それはまたデジタルカメラという修正と加工が可能なカメラの出現が、いままでのカメラに作用した現象ではないのだろうか、という妄想のような推理につながる。 何度でも修正し加工できる映像は写真とは言わないのだと、カメラの始祖が言っているのではないか。 普通のカメラをアナログカメラと言うのかどうか知らないが、高度な性能のアナログカメラが今になってたどり着いた、空間のいたるところにある、気配のようなエネルギーをすくいとってしまう性能を見せるために、朱雀の肉体を借りたのではないかと思ったりした。
朱雀とは何度か会っているのだが、話はいつも進展しなかった。 対話が成り立っているように思えた瞬間に、彼はまるでブラックホールのように、ただ私たちの音声を吸い込んでいるだけで、そこにいたのは変化しつづける深い穴のような共鳴体なのだと思えた。 そうした資質だからこそ思ってもみない写真があらわれてくる。
[これとこれがざわめいている]と選り分けた私の選択を、不思議そうに見つめていた朱雀は、展覧会でどんな選択をしてくるのか。 こわいような楽しみなような気持ちで待っている。



展覧会TOP PAGE 作家略歴 INAXギャラリー2
2001年の展覧会



INAX CULTURE INFORMATION
http://www.inax.co.jp/Culture/culture.html

ギャラリー2へのご意見、ご感想、お問い合わせ等はこちら
E-mail:xbn@i2.inax.co.jp

本ウェブサイトからの無断転載を禁じます

symbol
 Copyright(C) INAX Corporation
 http://www.inax.co.jp