INAX GALLERY 2

2001年6月のINAXギャラリ−2 Art&News
福岡道雄 展
− 何もすることがない −

会期:2001年6月1日(金)〜27日(水)
休館日:日曜・祝日

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



いつもの、ただひたすらな展覧会

入澤ユカ
(INAXギャラリーチーフディレクター)

福岡道雄さんは1994年、INAXギャラリーでの2回目の個展に際してこんなことを語っている。[東京の方々には過分にほめていただいている…]と。私が知る限りでも同業の美術家の何人もが福岡さんの作品を欲しがっていた。景観彫刻とよばれはじめていた、湖沼などで釣りをしている作品に、己が姿を重ねあわせるのだろうか。だが私がいつも福岡さんの作品に感じていたのは、[乾いた]感じだった。[子供が夏休みの宿題で絵日記を書くでしょ。あれと同じで[今日は釣りをしました]というのを彫刻にしてみたんです。][新しい作品は作っていて楽しい。職人の仕事が人々をとらえるんです。]
掛け値なしに、そのことばを素直に聞いていた。

福岡道雄さんは、やくざ映画の登場人物でいえば、渋い一匹狼のアウトローで、もし職人だったら、月にほんのちょっとしか気が向かないタイプで、やむにやまれず稼業に踏み込んでしまってぬけられなくなっているのだと空想したことがあった。腕と度胸も、力もある。が、照れや気取りも生まれつきなので、ほんとのことは語らない。勝手な想像を通すと、作品は潔さの輝きを増してくるような気がした。
[何もすることがない]はタイトルでもフレーズでもなく、テーマでもない。何千回も刻まれても終わるどころか、増幅していく。真実でもあるが、生きていること自体の韜晦だ。芸術をやっていることが、どっか恥ずかしくてたまらないとでもいうような福岡さんの身悶え感覚に惹かれているのかもしれない。怠けもので遊び人のように理解されたいという恥じらい感覚が私を揺さぶる。だがそんなわかりやすい分析は、幾度も繰り返されたに違いない。

初期の作品は白い紙に、墨の汚れか、傷のようなものだけが描かれてる。それらはあるがままの気持ちだったと思う。美術というジャンルで、今自分はすることがない、だが何かしたいという熱望だけがあった。近年のモチーフ[何もすることがない]の原点だ。
1990年代は[何もすることがない]が立体作品になった。黒の樹脂の箱型の上面は、さざなみ立った川面や湖面で、釣りをする人物像や、丸太乗りの人物が配されている。時には棒杭にしがみついて、流されないようにしている人物像もいる。これらの一連の作品には、アジア的で人工的な、不自然な自然観や滑稽感が感じられて強く惹かれた。福岡さんの作品には、いつも安息感と不安感、立派なこと滑稽なことが同在している。表現者とは[表現せずにはいられなく生まれてきて、それゆえこころがざわめいて一生を暮らす、かなり不幸な人]とも定義できるが、福岡さんの作品から受ける、かすかな痛苦の感覚が引き寄せられる理由かもしれない。
年月を経て[何もすることがない]は変化してきた。一面に同じフレーズをびっしりと刻みつける作品に[私達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか]などが新たに生まれている。阪神淡路大震災によって喪失感はもっと大きく、重くなったのだと思う。ずっと国家や人生や芸術をも、もちろん真っ先に自分自身を静かに笑い飛ばしてきたような福岡さんは、ただひたすら毎日電動彫刻力でフレーズを刻みつづけている。いつものように、すごくてただひたすらな展覧会になる。




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