Art Newsはギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。
1999年の貭感 高梨 豊 同盟員の中だけで通ずる言葉に、ツルツルとザラザラがあります。結成以来、ライカ同盟は三人でいろんな場所を写して来ました。敗戦記念日のヨコスカ、名古屋市内、三重県内と、それぞれに好みのものを写す楽しみをくり返して来ました。一日だけの撮影行も、やがて数日、十数日の旅程となります。旅の初日は三人で下見を兼ねてその地を一巡り、翌日からは別々に歩き廻り夕方には集合しての反省会です。反省会はやがて、撮ったタヌキ(未現像です)の自慢大会に化けるのですが、この戦果報告で飛び交うのが、ツルツルと、ザラザラです。 「今日はツルツルばかりで撮りにくかったぜ。」「やっぱり、ザラザラがないと作品に奥行きが出ないね。」「ツルツルばかりの都市になったら、接写レンズで部分のザラザラでも撮るしかないよ。」 銀座と日本橋の結節点の京橋を、ツルツルの恐れを抱いて出立した同盟員は、旧区のひろがりの中にザラザラを見つけてホッとしたようです。情報の飛び交う<街>と、人の暮らしの肌あいの<町>、その奥行きの内に「京橋」を写したのでした。 京橋で、思い出すのは橋のたもとにあった「テアトル東京」という映画劇場と、そこで上映された『2001 年宇宙の旅』です。1977年、日本で封切られたシネスコ(70ミリ?)サイズのSF超大作映画のストーリーは宇宙船の中だけで進行するのですが、最先端の科学技術から生まれた、ピカピカの宇宙船のセットにうっすらと積もった埃(演出上の)の描写を忘れなかった、監督S・キューブリックのセンスに舌を巻いたものでした。宇宙空間をさまよう人間を描いた空想科学映画の世界を、只の絵空ごとにさせなかったのは、降り積む埃のザラザラとしたリアリティでありました。 |
少年下町ポップ 秋山 祐徳太子 今度の撮影場所は旧京橋區、現在の中央区である。これは不思議なご縁だと思った。なぜなら私は四歳の時から高校一年まで、京橋區の花町・新富町で育ったからだ。だから小学校も開戦直後なので京橋国民学校と変わった。京橋區は運河の町だった。隅田川に通ずるため川も澄んでいて魚もよく釣れるのである。花柳界も華やかで一日中三味線の音が流れ、ブリキ屋からも軽妙な音が流れる。路地は格好の遊び場になる。そして駄菓子屋は子供達の社交場と化す。三味線の音曲やとんかんとんかん響く音で、後年の私のブリキの作品が生まれた気がする。ブリキ的少年期を「少年下町ポップ」と命名した。もう一つ私の芸術的発想の原点でもある、明石町にある聖路加国際病院も巨大化し、あのチャペルが可愛らしく見える。隅田川の岸辺は公園になっていて、超高層ビルが目前にそびえ建っている。勝鬨橋は開かずの橋になってしまった。開閉していたあのころはよく見にでかけたものだ。佃大橋のふもとにかつての渡し船の発着所があった。ポンポン蒸気というもので、よく佃島を往復したものだ。隅田川は私にとってもう一人の母のようなもの。佃島も変わったが名残はまだある。月島にはよく釣りに出かけた。はぜ、せいご、ぼらがよく釣れた。そんな月島も今は、もんじゃ焼が名物になってしまった。今度の撮影では旧京橋區をくまなく歩いた。全般的に都市化の波は進んでいるが、しかし私の住んでいた家はまだ残っている。幼な友達も多いのは、またここに戻ってこいということかもしれない。 運河は高速道路になったものの、隅田川の水量は豊かで、人情もまた豊かである。銀座も昭和通りも粋な流れがある。かつて木挽町という粋な名もあった。ズッシリと重いライカを手に京橋區の軽ろみが撮れただろうか。我がライカ町いかなる出来ばえでありましょうか。 |
ライカの気持ち 赤瀬川 原平 いまは京橋というと小さな町になっているけれど、戦前は京橋區という区があって、銀座から大手町から築地から月島から、とにかく相当広い領域である。打合せのときそれを知って、ライカ気分も大きくなった。歩いてみると意外と下町的な通りが広がっている。町工場もあったりする。印刷関係の工場も多い。 ぼくは生まれたとき養子に行くことになっていたそうだ。行き先は日本橋の伯母さん。父の姉で、嫁いだところが日本橋の印刷屋さんだった。だからもし養子が実現していたら、京橋の隣ではあるけど、ひょっとして秋山祐徳太子と同じ小学校ですれ違っていたかもしれない。そんなことを夢想しながら、京橋界隈の裏通りをそぞろ歩いた。 足がつい裏通りに向かうのは致し方のないところで、写真というのは何か思わぬものに出会ってシャッターを押すのが楽しいのだ。思い通りのものを写真に撮っても、どうもつまらない。町の表通りというのは、思い通りというか、いろんなものが計算づくで造られていて、清潔で綺麗ではあるけど、あえて写真に撮ろうとすることの意味が蒸発している。まして銀座である。 といって、しかし表をまるで撮らないのではライカがすたるというわけで、いちおう表通りも歩きながら、ほっと救われるのはやはり思わぬ光だった。写真は光 という当り前のことをまたまた実感した。 ライカは気持ちがいい。もちろんカメラだから、道具として人工的に計算されている物なんだけど、何故か計算以外のものがにじみ出ている。いったんそれに染まって撮りはじめると、ライカ以外のカメラで撮ってもすべてライカになってしまうところが、ライカの底力というものである。 そういうライカの底力と似たようなものが「京橋區」の銀座界隈にはやはりにじみ出ていて、シャッターを押しながら気持ちよかった。 |
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